11. Vijayasuttaṃ 勝利 ①
第1章「蛇」の11番目のスッタ集は「勝利」がテーマです。
人間の身体は、心と肉体でできています。このスッタ集では、肉体に焦点を当て、修行者が自らの肉体を外側から内側から観察し、肉体が単に「皮膚に覆われた筋骨や内臓物や体液の塊」でしかないことを理解し、マハーサティパッターナ・スッタ の「Kāyānupassanā カーヤーヌパッサナー・身体の観察」を簡潔にした内容です。
ブッダの教えは、一体何に「勝利」するというのでしょう?
SN1-11-195
Caraṃ vā yadi vā tiṭṭhaṃ, 歩く あるいは もし あるいは 立つ nisinno uda vā sayaṃ; 座る あるいは また 横になる Samiñjeti pasāreti, 曲げる 伸ばす esā kāyassa iñjanā. それは 身体の 動き
立っていても
歩いていても
座っていても
横になっていても
曲げたり伸ばしたり
これが身体の動きです。
解説
身体の動きは、身体を構成する4つの物質的要素のうち、風の要素にあたります。
人間が重力に対してバランスをとっている時の動きは、実はこの4つの静的・動的動作だけです。身体を垂直にして立つ、移動する、曲げて座る、水平に横たわるの4つです。いずれにせよ、筋肉を曲げるか伸ばすかしかしていません。
例えば、パソコンを駆使してマルチタスクで複雑な作業をこなしているように見える仕事も、身体を折り曲げて座り、手でマウスを水平移動し、指先を曲げて垂直押下でクリックしているだけです。行っている動作はこの単純作業の繰り返しです。
また、人間は一度に1つのことしかできないので、マルチタスクで同時進行しているのではなく、複数の作業を行ったり来たり忙しなく動作しているだけです。
SN1-11-196
Aṭṭhinahārusaṃyutto, 骨・筋・結合 tacamaṃsāvalepano; 皮膚・肉・塗られた Chaviyā kāyo paṭicchanno, 表皮 身体は 隠され yathābhūtaṃ na dissati. ありのままに ない 見える
骨と腱が結合し
皮膚と筋肉で塗り立てられた
この身体は、肌に隠れていて
ありのままには見えない。
解説
人間の身体は、骨と腱が筋肉と皮膚に覆われたものです。ブッダはマハーサティパッターナ・スッタの「不浄についての考察」の項で、「皮膚に覆われ、さまざまな汚物で満たされたこの身体を、足の裏から頭髪の先端まで、じっくりとよく調べて、よく考えてみなさい」と言っています。
SN1-11-197
Antapūro udarapūro, 腸・充満 胃・充満 yakanapeḷassa vatthino; 肝臓・塊で 膀胱で Hadayassa papphāsassa, 心臓で 肺で vakkassa pihakassa ca. 腎臓で 脾臓で と
腸と胃でいっぱいで
肝臓の塊、膀胱
心臓、肺
腎臓、脾臓がある。
解説
身体の中の土の要素です。
SN1-11-198
Siṅghāṇikāya kheḷassa, 鼻の粘液 唾液 sedassa ca medassa ca; 汗 と 脂肪 と Lohitassa lasikāya, 血液 関節髄液 pittassa ca vasāya ca. 胆汁 と 血清 と
鼻の粘液、唾液
汗、脂肪
血液、滑液
胆汁、リンパ液。
解説
身体の中の水の要素です。
SN1-11-199
Athassa navahi sotehi, またこの 9つの 孔から asucī savati sabbadā; 汚い 流れる 常に Akkhimhā akkhigūthako, 眼から 目やに kaṇṇamhā kaṇṇagūthako. 耳から 耳垢
また、9つの穴からは
常に汚物が流れている
目から目やに
耳から耳垢
解説
「9つの穴」とは、目×2、鼻×2、口、耳×2、尿道、肛門の9つです。これらの穴から出るものは、すべて悪臭がある汚物です。次のスッタに文章が続きます。
SN1-11-200
Siṅghāṇikā ca nāsato, 鼻の粘液 と 鼻から mukhena vamatekadā; 口から 吐く・時には Pittaṃ semhañca vamati, 胆汁を 痰を・また 吐く kāyamhā sedajallikā. 身体から 汗・垢
鼻から鼻水
時には口から嘔吐し
痰や胆汁も吐く
全身から汗と垢。
解説
pitta(ピッタ):胆汁は黄緑色で苦味のある液体です。
SN1-11-201
Athassa susiraṃ sīsaṃ, またこの 空洞 頭に matthaluṅgassa pūritaṃ; 脳が 充満 Subhato naṃ maññati, 美しい それを 考える bālo avijjāya purakkhato. 愚者は 無知により 偏重する
さらに空っぽの頭には
脳みそが詰まっている。
無知な愚か者はそれに
価値があると思っている。