8. Nāvāsuttaṃ 船のスッタ集
良い師、学ぶべき師匠とは、船頭のように、向こう岸に渡る方法を経験を通して知っている人です。良い師に巡り会うことが、ダンマの修行を実践するために、いかに大切かを語ったスッタ集です。
SN-2-8-318
Yasmā hi dhammaṃ puriso vijaññā, それ故 実に ダンマを 人は 知る indaṃva naṃ devatā pūjayeyya; インドラ・あるいは その 神々は 尊敬すべき So pūjito tasmi pasannacitto, 彼は 尊敬された その人に対し 浄心の bahussuto pātukaroti dhammaṃ. 多く・聞いた 明らかにする ダンマを
ダンマの教えを
人から学んだなら、
神々がインドラを
尊敬するかのように
その人を敬いなさい。
尊敬された人は喜んで
たくさんのダンマの教えを
説明してくれるでしょう。
解説
インドラとは、バラモン教やヒンドゥー教における神々の王の名前です。パーリ語では、sakka(サッカ)とも呼ばれます。
bahussuta:bahu(多くの)+suta(聞いた)=「豊富な知識、たくさん学ぶ。多聞」多くを聞いて学んだ賢者という意味です。この時代の教えはすべて口伝だったので、多くの知識を聞くことが学びでした。多くを聞いて学んだ人にまずは敬意を表しなさい、ということです。
私たちの日常と一緒です。誰かから学ぶときには、教えてくれる人に対して敬意を払って接すると、その人は喜んで、さらに多くの情報を与えてくれるものです。
SN-2-8-319
Tadaṭṭhikatvāna nisamma dhīro, それを・成した 注意深く 賢者は dhammānudhammaṃ paṭipajjamāno; ダンマに・従う・ダンマを 守る・歩む・ならば Viññū vibhāvī nipuṇo ca hoti, 識者 聡明な人 巧みな人 と なる yo tādisaṃ bhajati appamatto. 彼が そのような 親近する 懸命
注意深く心を働かせて
ダンマの教えに従って実践し、
このような師の元で
懸命に学ぶならば
聡明で巧みな者になる。
解説
そのような師と付き合い、多くを聞いて学んだなら、次はその教えを実践しなさい。そうすれば、悟りを開くことができる、という意味です。
SN-2-8-320
Khuddañca bālaṃ upasevamāno, 劣った・と 愚かな人 近い・従う・ならば anāgatatthañca usūyakañca; ない・未来・利益・と 妬み・と Idheva dhammaṃ avibhāvayitvā, この世に・あるいは ダンマ ない・備え avitiṇṇakaṅkho maraṇaṃ upeti. ない・超える・疑念 死に 至る
劣った人や愚かな人と
一緒にいると
嫉妬はされても
恩恵は得られない。
この世でダンマを
習得することなく
疑問が解決されないまま
死ぬことになる。
解説
khudda:劣った、低い、小さい、取るに足らない。
劣った人、愚かな人と一緒にいても智慧は得られません。「死ぬことになる」とは、解脱できずに死んで再び生まれ変わる、という意味です。
SN-2-8-321
Yathā naro āpagamotaritvā, のように 人は 川・下る mahodakaṃ salilaṃ sīghasotaṃ; 大いなる・水に 水に 急流に So vuyhamāno anusotagāmī, 彼は 浮かびながら 流れていく kiṃ so pare sakkhati tārayetuṃ. いかに 彼は 他の できるだろう 渡る
水かさが増した急流の
大河を下るように
流れに押し流されている人が
どうやって他の人を
渡らせることができるだろうか。
解説
増水した急流の大河で押し流されている人は、他者を川の向こう岸に渡すことはできません。人生は激流と同じです。人の心はあっという間に欲や怒りに飲み込まれてしまいます。快楽に溺れたり、怒りに流されている状態では、自分はもちろん、まして他者を彼岸(安らぎの境地)に渡すことなどできません。
SN-2-8-322
Tatheva dhammaṃ avibhāvayitvā, ように・同じ ダンマを ない・理解する bahussutānaṃ anisāmayatthaṃ; 多く・聞く・人に ない・耳を傾け Sayaṃ ajānaṃ avitiṇṇakaṅkho, 自ら ない・知る ない・超える・疑念 kiṃ so pare sakkhati nijjhapetuṃ. いかに 彼は 他の できるだろう 理解させる
また、多くを学んだ人に
耳を傾けもせず
ダンマを理解しない人は
疑問を解決できないし
自分自身が知らないのに
どうして他の人に
教えることができるだろう。
解説
この世には「知らないのに、知っている」と思い込んでいる人もたくさんいます。そのような真理を知らない人についても、学びはありません。学ぶ方も、それを見抜く力が必要です。
SN-2-8-323
Yathāpi nāvaṃ daḷhamāruhitvā, ように・また 船に 堅牢な・乗る phiyena rittena samaṅgibhūto; 櫂と 舵を 備えた So tāraye tattha bahūpi aññe, 彼は 渡すだろう そこで 多くの・また 他の tatrūpayaññū kusalo mutīmā. その時・牽引する 善き 覚醒者
櫂と舵を備えた
頑丈な船に乗るように
善き覚醒者は多くの人を
引き連れて向こう岸に渡すだろう。
解説
急流の大河であっても、櫂と舵を備えた頑丈な船があれば、人々を向こう岸へ渡すことができます。頑丈な船とは、強い心のたとえです。
SN-2-8-324
Evampi yo vedagu bhāvitatto, このように・また 彼は ヴェーダに通じた 自ら修習した bahussuto hoti avedhadhammo; 多くを・聞いた なる 不動の・ダンマは So kho pare nijjhapaye pajānaṃ, 彼は 実に 他の 理解させる 知識を sotāvadhānūpanisūpapanne. 聞いている・原因・備わった人たち
また、豊富な知識を得て
心が動揺することなく
自ら実践して悟った人は
他人に知識を理解させることができる。
聞こうとする意欲のある人々に。
解説
vedagū:ヴェーダに通じた人=真理を知る人=悟りを得た人
sotāvadhānūpanisūpapanne:sotāvadhāna(聞いている) + upanisā(原因・手段)+ upapanna(十分備わっている。到達している)
頑丈な船と同じように、心が動じない不動の人は、他者を彼岸へと導くことができます。
SN-2-8-325
Tasmā have sappurisaṃ bhajetha, それ故 的確に 真善人と 親しめ medhāvinañceva bahussutañca; 智慧ある人・と・また 多く・聞く者・と Aññāya atthaṃ paṭipajjamāno, 了知して 道理 守る・歩む・ならば viññātadhammo sa sukhaṃ labhethāti. 認識した・真理を 彼は 安楽を 得るだろうと
だから、智慧があり多くを学んだ
本当の善き人と付き合いなさい。
道理を理解し、実践するならば
真理を理解して安楽を得るだろう。
解説
この教えは、付き合う相手を選びなさい、ということですが、間違った知見を持って選べば、間違った相手についてしまうこともあり得ます。しかしながら、その間違いも学びの1つなのだと思います。
Nāvāsuttaṃ aṭṭhamaṃ niṭṭhitaṃ. 船の・スッタ集 8番目 終わり
まとめ
どうすれば、智慧があり多くを学んだ本当の善き人に出会えるのか。それが一番の問題だと思いますが、まずは自分自身が正しく善き行いを実践することだと思います。
「正しく善き行い」といっても難しく考えることも、特別な慈善活動をする必要もありません。ただ、日々の小さなことで、常に思いやりをもって他者の役に立つように、他者を助けるように行動し続けるだけです。
学校や会社や家庭の中で、嫌いな人に対しても、できる限り相手の気持ちを優先させて、相手ファーストで頑張ってみるのです。「そんな急に善人ぶって、今まで無愛想だったのに恥しい」などと思う必要はありません。
人はみな、自分のことしか見ていません。あなたのことなど誰も見ていないのです。だから突然いい人に変身しても大丈夫です。突然キャラチェンジして、せっかく生まれ出た人間の生命=人生を楽しんでみてください。
私たちのキャラは、今日まで地道にアップデートを重ね、心が作り上げたイメージに過ぎないのです。だから、自分でリメイクすることも、全くの別キャラに仕立てるのも自由なのです。
相手ファーストの行動を続けていると、その人の心の段階に応じて、相応しい師が自然に現れます。サンマー・サン・ブッダは別として、誰にでも同じ師が相応しいわけではないと思うのです。100人いれば100人の師がいると思います。
そして師が現れたら、このスッタ集の先頭318の通りです。
8. 船のスッタ集 終わり