12. Nigrodhakappasuttaṃ ニグローダカッパのスッタ集
ヴェンギーサについての解説と前文で長くなりましたが、ここからが本編です。亡くなった師匠のニグローダカッパについて、ヴァンギーサがブッダに質問します。
SN-2-12-345
‘‘Pucchāma satthāramanomapaññaṃ, 質問する・私は 師匠・最高の・智慧者に diṭṭheva dhamme yo vicikicchānaṃ chettā; 見た ダンマ 彼は 疑いを 断ち切った Aggāḷave kālamakāsi bhikkhu, アッガラーヴァで 死んだ 比丘 ñāto yasassī abhinibbutatto. 知られた 有名 寂滅・得た
疑いを断ち切り
ダンマを悟った
最高の智慧者である
大師に質問いたします。
アッガーラヴァで死んだ
比丘は涅槃を得た際の
誉れ高い名前で
知られております。
解説
ヴァンギーサの師匠であったニグローダカッパの名前は、ニグローダ(ベンガル菩提樹)の樹の下で、ニグローダカッパが涅槃を得た際に、ブッダが「Nigrodha(ニグローダ樹で)kappa(適する)」と名付けたそうです。
SN-2-12-346
‘‘Nigrodhakappo iti tassa nāmaṃ, ニグローダ という 彼の 名前は tayā kataṃ bhagavā brāhmaṇassa; あなたに なされた 世尊よ バラモンに So taṃ namassaṃ acari mutyapekkho, 彼は あなたを 拝礼し 行った 解脱・待ち āraddhavīriyo daḷhadhammadassī. 励んだ・精進 確固たる・ダンマ・見る
世尊よ、
ニグローダカッパという
彼の名前はあなたによって
アラハンに与えられたものです。
彼はあなたに敬意を表し
解脱を目指して懸命に精進して
確固たるダンマを
悟るに至ったのです。
解説
原文では、ブッダは「バラモンに」ニグローダカッパという名前を与えた、となっています。「バラモン階級の人に」という意味なのか、あるいは、ブッダが常々言っていた「本当のバラモンとは、階級に関係なく涅槃を得たアラハンのことだ」、という意味で、「涅槃を得たアラハンに」という意味なのか定かではありませんが、ここではアラハンと訳しました。
SN-2-12-347
‘‘Taṃ sāvakaṃ sakya mayampi sabbe, あなたは 弟子 釈迦よ 私たち・も 皆 aññātumicchāma samantacakkhu; 洞察力・求める 全てを見通す者 Samavaṭṭhitā no savanāya sotā, 用意した 我々の 耳は 聞く tuvaṃ no satthā tvamanuttarosi. あなたは 我々の 師 あなたは・無い・比類
お釈迦様、
すべてを見通すお方よ
我々は皆、
あなたの弟子について
知りたいと願っています。
我々の耳はすでに
聞く準備ができています。
あなたは比類なき人であり
我々の大師です。
解説
ブッダは古代北インドの部族「sākiya(サーキヤ)釈迦族」の王子でした。当時のインドでは大小たくさんの王国があり、ブッダ の実家はヒマラヤ山麓にある小国「Kapilavastu(カピラヴァストゥ)カピラ城」で、西隣の大国コーサラ国の傘下でした。
SN-2-12-348
‘‘Chindeva no vicikicchaṃ brūhi metaṃ, 破る 我々の 疑惑 説く 私に・それを parinibbutaṃ vedaya bhūripañña; 完全なる・消滅 知らせよ 広い・智慧者 Majjheva no bhāsa samantacakkhu, 中で・或いは 我々は 語れ すべてを見通す者よ sakkova devāna sahassanetto. インドラ・のように デーヴァの神々に 千の目の
私に教えてください。
我々の疑惑を破ってください。
大いなる智慧をもって
涅槃を完成させた者について
説明してください。
我々の前でお話しください。
すべてを見通すお方よ
千の目のインドラが
デーヴァの神々に語るかのように。
解説
我々の疑惑とは何でしょうか。涅槃の最終段階に至っていない、と疑っているのでしょうか?
インドラとは、デーヴァの神々の長のことです。
SN-2-12-349
‘‘Ye keci ganthā idha mohamaggā, 彼らを 何であれ 縛り ここに 無知・道 aññāṇapakkhā vicikicchaṭhānā; 無智・側面 疑い・状態 Tathāgataṃ patvā na te bhavanti, タターガタ 到達した ない それらは 存在 cakkhuñhi etaṃ paramaṃ narānaṃ. 眼・だから 彼は 最高の 人にとって
こだわりは無知の道となり
何であれ無知と結びついて
疑いとなるのがこの世の常ですが
タターガタにはそれがない。
人間として最高の
眼識があるからです。
解説
Tathāgata:日本語では「如来」と訳されますが、tathā(真実に)gata(行った)とい意味です。当サイトでは、パーリ語のまま「タターガタ」としています。
cakkhu:眼。眼を持つ人=眼識がある、見抜く力があるという意味です。眼識とは、物事のよしあしや真偽などを見分ける能力ですが、ブッダは人間として最高レベルの眼識を持っていました。一眼見ただけで、その人なり(生来の性質)がわかったそうで、だからこそ多くの人をアラハンに導くことができたのです。
SN-2-12-350
‘‘No ce hi jātu puriso kilese, ない もし 実に 疑いなく 人が 穢れを vāto yathā abbhadhanaṃ vihāne; 風が ように 雲を 除去 Tamovassa nivuto sabbaloko, 暗黒・年 包まれ すべて・世界 na jotimantopi narā tapeyyuṃ. ない 輝き 人々 苦しむだろう
もし人が、
風が雲を払いのけるように
心の汚れを払わなければ、
この世はすべて闇に包まれて
人々は輝くことなく
苦しむことでしょう。
SN-2-12-351
‘‘Dhīrā ca pajjotakarā bhavanti, 聖者よ そして 光明 存在 taṃ taṃ ahaṃ vīra tatheva maññe; あなたは すなわち 私自身は 勇者 かく 私は思う Vipassinaṃ jānamupāgamumhā, 洞察者 知って・近づいた parisāsu no āvikarohi kappaṃ. 集会で 我々の 明らかにする カッパを
光をもたらす存在である
聖者よ
私はあなたをそのような
勇者だと思っています。
我々は洞察力のあるお方だと
わかっていて参ったのです
ここに集う者の前で
カッパについて
我々に明らかにしてください。
SN-2-12-352
‘‘Khippaṃ giraṃ eraya vaggu vagguṃ, ただちに 声を たてる 美しい 美しい人よ haṃsova paggayha saṇikaṃ nikūja; 白鳥 持ち上げ 徐々に 鳴く Bindussarena suvikappitena, 簡潔な・によって よく・整頓された sabbeva te ujjugatā suṇoma. みんな あなたに 正直な・様子 聴く
麗しいお方よ
麗しい声を今すぐ発してください
白鳥が首をもたげて鳴くように
思慮深く簡潔な言葉に
我々はみな素直に
あなたに耳を傾けるでしょう。
解説
どうやらブッダは促されても、声を出そうとしないようです。他のスッタでは、見慣れないパーリ語が多く使われています。弁才の第一人者ヴァンギーサは、ボキャブラリーが豊富です。
SN-2-12-353
‘‘Pahīnajātimaraṇaṃ asesaṃ, 捨てた・生・死 完全に niggayha dhonaṃ vadessāmi dhammaṃ; 抑止 浄き 説いてもらおう ダンマを Na kāmakāro hi puthujjanānaṃ, ない 欲を・為すことは 実に 凡夫は saṅkheyyakāro ca tathāgatānaṃ. 考慮すベきことを為す と タターガタは
生と死を完全に捨て去り、
穢れなき浄きお方に
ダンマを説いていただきましょう。
凡夫は知りたいと思っても
わかりませんが、タターガタは
為すべきことを全てご存知です。
SN-2-12-354
‘‘Sampannaveyyākaraṇaṃ tavedaṃ, 完全な智慧・解説 あなたによる samujjupaññassa samuggahītaṃ; 真正の・智慧 取り上げられた Ayamañjalī pacchimo suppaṇāmito, 合掌は 最後の よく・さしだされた mā mohayī jānamanomapañña. なかれ 迷わす 知っている・智慧
あなたの完全な智慧の解説は
真の智慧として受け入れる
最後の合掌を捧げます
智慧を知っているのですから
ごまかさないでください
解説
最後の合掌って、最後のお願いということでしょうか。まさに「拝み倒す」ですね。
SN-2-12-355
‘‘Parovaraṃ ariyadhammaṃ viditvā, あちら・こちらの 聖なる・ダンマを 知って mā mohayī jānamanomavīra; なかれ 迷わす 知っている・強者 Vāriṃ yathā ghammani ghammatatto, 水を ように 炎暑に 炎暑に焼せられた人が vācābhikaṅkhāmi sutaṃ pavassa. 言葉を・求める・私は 聞く 降り注ぐ
この世とあの世の聖なるダンマを
完全に理解した、全能の強者よ
惑わさないでください。
炎天下に暑さで苦しむ者が
水を求めるように
私はあなたの言葉を求めています
言葉のシャワーを
降り注いでください。
解説
まだブッダは黙ったままです。最後のお願いもスルーだったのですから、これはもはや無駄話ではないでしょうか。
SN-2-12-356
‘‘Yadatthikaṃ brahmacariyaṃ acarī, それの・ために 梵行を 行った kappāyano kaccissa taṃ amoghaṃ; カッパ師は かどうか それは ない・空虚の Nibbāyi so ādu saupādiseso, 消滅した 彼は 或は 生命の基層が残っている yathā vimutto ahu taṃ suṇoma’’. のように 解脱した 存在 彼は 聞きたい
カッパ師匠の出家生活は
無駄ではなかったのですか?
彼は消滅したのですか?
それとも、まだ存在の要素が
わずかに残っているのですか?
解脱した存在がどうなるのか
私はお聞きしたいのです。
解説
アラハンが亡くなったのですから、消滅ではないでしょうか。存在の要素がわずかに残るのは、アナーガーミでは? ヴァンギーサは、この時点では悟りの4段階を理解していなかったのでしょうか。
SN-2-12-357
‘‘Acchecchi taṇhaṃ idha nāmarūpe, 断ち切った 渇望を ここで 名称と色形における (iti bhagavā) と、ブッダは Kaṇhassa sotaṃ dīgharattānusayitaṃ; 邪悪の 流れを 長い・染まった・潜む Atāri jātiṃ maraṇaṃ asesaṃ,’’ 渡った 生 死 完全に Iccabravī bhagavā pañcaseṭṭho. そう・言った 世尊は 5つ・最上は
ブッダ:
「彼はこの世で
心と身体における
渇望を断ち切った。
長く染み付いた穢れが潜む
邪悪な流れを渡り
彼は生と死を完全に越えた」
5人の最上である世尊は、そう言った。
解説
ついにブッダの言葉です。答えは「ニグローダカッパ は完全に消滅した」でした。
ヴァンギーサの質問が具体的だったので、ブッダも答えることができたようです。ということは、ヴァンギーサは長々と語っていましたが、肝心の質問はまだしていなかった、ということでしょうか。ブッダは黙って聞いて、質問を待っていたのでしょうか。
そう思って改めて読み返してみると、前文では、ヴァンギーサがブッダに「ひとりで瞑想していた時、こんな思考が浮かびました。私の師匠が完全に消滅したのか、完全には消滅していないのか、と」と語りました。それに続いて、冒頭345のスッタが始まりますが、355までの10スッタでは、ブッダを促す一方で、具体的な質問内容は語られていません。
ヴァンギーサ的には、前文の言葉が質問のつもりだったと、思うのですが、ブッダ的には、質問には聞こえなかったのでしょう。確かに質問というより感想ですね。「へー、そんな思考が浮かんだんだ、うん、うん、それで?」のまま、355スッタまでジッと聞いてしまったのかもしれません。
読者的には、354のスッタで最後の合掌を捧げ、「ごまかさないでください」とまで言っているのですから、まさかブッダ が質問を待っているとは思いもしませんでしたが、まさかの質問待ちだったのかもしれません。
さて、最後の1行は、「”」の外にあるので、ブッダの言葉ではなく編者が加えた言葉のようです。「5人の最上者のブッダ が言った」とは、どういうことでしょう。
この場に、ブッダとヴェンギーサの他に3人いて、全部で5人いたということでしょうか? 「pañca(パンチャ)5」という数字は、五戒(pañcasīla)や五蓋( pañca nīvaraṇāni)、五根(pañc’ indriya)、五蘊(pañcakkhandha)など、ブッダの教えには重要な数字です。
ここでの五の真意は、わかりかねますが、とりあえず現場には5人いたという訳にしました。なかなか、謎の多いスッタ集です。
SN-2-12-358
‘‘Esa sutvā pasīdāmi, これ 聞いて 満足・私は vaco te isisattama; 言葉は あなたの 仙人・第七の Amoghaṃ kira me puṭṭhaṃ, 無駄ではない 確かに 私 尋ねたこと na maṃ vañcesi brāhmaṇo. ない 私を 騙した バラモンは
ヴァンギーサ:
7番目のブッダである
あなたのお言葉を聞いて
私は満足しました。
私がお尋ねしたことは
無駄ではありませんでした。
アラハンが欺くことなど
あり得ません。
解説
isisattama:過去七仏(かこしちぶつ)の7番目=ゴータマ・ブッダのことです。ゴータマ・ブッダは、サンマー・サン・ブッダの5番目だととする説と、7番目とする説があります。
最後の行は「バラモンは私を騙さない」となっています。ここでのバラモンは346のスッタで、ブッダが名付けたバラモンを指していると考えて、アラハンになったニグローダカッパ のことだと解釈しました。
SN-2-12-359
‘‘Yathāvādī tathākārī, のように・言った そのように・行動 ahu buddhassa sāvako; あった ブッダにおける 弟子は Acchidā maccuno jālaṃ, 切断 死王の 網を tataṃ māyāvino daḷhaṃ. 広がる 幻術者 強い
世尊の弟子は
おっしゃる通りに実践して
人を惑わす死王が広げた
強固な網を断ち切ったのです。
解説
ニグローダカッパ は、ブッダ の言う通りに実践して輪廻から解脱した、ということです。
SN-2-12-360
‘‘Addasā bhagavā ādiṃ, 見た 世尊よ 初め upādānassa kappiyo; 執着の カッパ師は Accagā vata kappāyano, 越えた 実に カッパ師は maccudheyyaṃ suduttara’’nti. 死王・領域を 極めて越えがたい と
世尊よ
カッパ師匠は
執着の源を発見したのです。
カッパ師匠は
極めて越えがたい死の領域を
確かに越えたのです。
とヴァンギーサは言った。
解説
弁才の第一人者ヴァンギーサの語りは以上で、終了です。
Nigrodhakappasuttaṃ dvādasamaṃ niṭṭhitaṃ. ニグローダカッパ ・スッタ集 12番目 終わり
12. ニグローダカッパ のスッタ集 終わり
まとめ
このスッタ集は、他のスッタでは出てこないパーリ語が盛り沢山の特殊なスッタ集でした。これは実際に翻訳してみないと、わからない経験でした。
このスッタ集は、もしかしたらヴァンギーサの無駄話だったかもしれませんが、そうは言っても言葉巧みで、残しておく価値があるものだったのではないかと思います。ブッダも感心して聞き入っていたのかもしれません。
そう考えると、このスッタを聞いた人数を暗に匂わせることで、これは説法の場ではなく少人数の会話だった、でもサンガの最低限の人数4人はいたからサンガのスッタとして有効である、ということかもしれません。
また、話者の名前をあえてタイトルに掲げず、あくまでニグローダカッパのスッタ集としているのも、他のスッタ集にはない部分です。いろいろな解釈が無限に広がり、これも単なる妄想ですが、楽しめるスッタ集でした。
ヴァンギーサはブッダの弟子の中で、最も弁才に長けた人であり、ブッダの教えを自分なりにまとめて、詩にすることができました。最終的にアラハンとなりましたが、出家した直後は、女性を見て欲情したり、ブッダがいないとやる気がなくなったり、口数少なくおとなしい修行者をバカにするところがあったそうです。しかしその都度、自分の心に気づき、ブッダの教えを思い出し、それを詩にして自らに語りかけることで乗り越えたそうです。