第1章 蛇:3. 犀のように 71〜75

3.Khaggavisāṇasuttaṃ 犀のように ⑤

SN1-3-71

Sīhova saddesu asantasanto, 
ライオンのように 音に 否・怯える
vātova jālamhi asajjamāno;
風のように 網に 触れない
Padumaṃva toyena alippamāno,
ハスのように 水 つかない
eko care khaggavisāṇakappo.

物音に怯えない獅子のように
網にかからない風のように
水を弾く蓮のように
犀のように独りで行動しよう

解説

人はニュースが大好きです。心が動揺して、快活なエネルギーが得られるからです。世間では大変だ、大変だ、と常に騒ぎ立てていますが、本当は世の中には、驚くことなどないのです。すべて原因があっての結果だからです。一切の偶然はなく、すべてが必然であり、あるのは無知だけなのです。

SN1-3-72

Sīho yathā dāṭhabalī pasayha, 
ライオンは ように 牙・強い 征服  
rājā migānaṃ abhibhuyya cārī;
王 獣たちの 克服して 行く
Sevetha pantāni senāsanāni,
利用する 辺境の地 臥所坐所
eko care khaggavisāṇakappo.

ライオンが強い牙で
百獣の王として征服するように
起きているときも
寝ているときも
心は世俗を離れることで克服される
犀のように独りで行動しよう

解説

ライオンは牙で他の獣を倒します。心は「paññā(パンニャー)智慧」で克服します。

独りで行動するために、必ずしも人里離れて隠居する必要はありません。家族と暮らしていても、影響されずに独りで決断して行動できれば問題ないのです。しかし、実際には周りの顔色を伺ったり、期待に応えようとしたり、逆に反発したり、どうしても影響されてしまいます。髪型ひとつとっても、好きにはできていないものです。だから本当に人里離れて独居すれば、誰の顔色も気にせず自由に決定して生きていけるのです。

SN1-3-73

Mettaṃ upekkhaṃ karuṇaṃ vimuttiṃ, 
慈悲 平静さ 思いやり 解放
āsevamāno muditañca kāle;
発展した 喜び 時間
Sabbena lokena avirujjhamāno,
一切の 世間の 否・妨げ 
eko care khaggavisāṇakappo.

慈悲、平静さ、思いやり、解放
共感の喜びを育み
世俗の一切に煩わされることなく
犀のように独りで行動しよう

解説

心が最も深いレベルで、すべての汚れから完全に解放された時に、mettā(メッター)慈悲upekkhā(ウペッカー)平静さkaruṇā(カルナー)思いやりmuditā(ムディター)共感の喜び、のエネルギーで心は満たされます。

慈悲は、相手の楽を望む心です。平静さは、相手に対して落ち着いた心で接することです。思いやりは、相手の苦しみを除いてあげたいと望む心です。共感の喜びは、相手の幸福や成功を共に喜ぶ心です。これらの心は自分のためではなく、他者のためです。だから望みであっても、欲望にはなりません。

慈悲(メッター)」は、人間だけでなくすべての命に対する限りなく大きな優しさの心です。悪意がなく、すべての生命の善と幸せを心から願う心で、自分自身をすべての生き物と同一視し、すべての生命の仲間であるとして接する態度です。

友情・善意など、他者への積極的な関心を意味しますが、人を優しい気持ちにさせるものです。これに対する心が「憎しみ」や「悪意」「敵意」ですが、「」も慈悲に反する心なのです。「」は、各自の個人的な価値観で捉えて実行されます。そして「愛」は執着や嫉妬に変わって「愛着」となり、人を苦しめることがあります。しかし「友情」はどんな時にもホッとできる明るく楽しい気持ちなのです。

慈悲の瞑想(メッターバーヴァナー)についてはこちら

SN1-3-74

Rāgañca dosañca pahāya mohaṃ, 
欲望と 怒りと 捨てて 無知を
sandālayitvāna saṃyojanāni;
破って 束縛・様々な
Asantasaṃ jīvitasaṅkhayamhi,
怯えない 人生の終焉
eko care khaggavisāṇakappo.

欲望、怒り、無知を手放して
さまざまな束縛を破り
人生の終わりを迎えても、動じない
犀のように独りで行動しよう

解説

身心を乱し、悩ませ、苦しめる心の働き(汚れ)の根本にある3つが、欲望・怒り・無知です。最も克服すべき心の働きです。この3つが、悪い行為(カンマ)を作り出す悪い動機であり、諸悪の根源です。

SN1-3-75

Bhajanti sevanti ca kāraṇatthā, 
交わり 従う と 利益のために
nikkāraṇā dullabhā ajja mittā;
理由なく 得難い 今 友
Attaṭṭhapaññā asucī manussā,
自己中心 不浄の 人間
eko care khaggavisāṇakappo.

人は利益のために
他者に関わり従う
打算のない友は今や得難い
自分本位の人間は汚い
犀のように独りで行動しよう

解説

人との関わりには常に条件が付きまといます。無条件で付き合える友はなかなかいないのです。無条件でつきあうとは、相手を評価しない、判断しない、ありのままを受け止めることです。これは相手に求めることではなく、まず自分が成すべきことです。自分が無条件で接すれば、相手も心を開いてくれるかもしれません。

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以上で犀のスッタ集は終わりです。この章は「犀のように独りで行動しよう」がキーワードでしたが、独りでも独りじゃなくても、常に精神的に独立して行動することが大切です。何かに迷った時、自分がどうしたいのかを自分に問い、自分がしたいように行動することです。この当たり前のことが、人はなかなかできないのです。

「家族がいるから無理かも」「仕事があるから大変」と言い訳するのは、本当は自分がやるべきことに自信が持てず、先送りする心に他なりません。誰かのせいにしたり、何かのせいにするのが依存しているということなのです。何ものにも依らず、自分がどうしたいか、したいようにすればいいのです。それが他者を傷つけたり困らせたりすることでなければ、何も問題はないのです。自分の役に立つことでもいいのです。まして他者の役に立つこと、助けることであれば、是非やった方がいいのです。

悟りとは一般人から見た呼び名であって、全知全能を得ることではありません。 当事者にとってはひとつの体験に過ぎません。悟りは、自分自身から解放されるということです。自分を縛るのは家族でも仕事でもなく、自分自身の心なのです。そのことをはっきりと自覚し、身体の経験として実体験したならば、人は無限の可能性をもって生きることができるのです。どんな人にもその無限の可能性は秘められています。

Khaggavisāṇasuttaṃ tatiyaṃ niṭṭhitaṃ.
犀のスッタ集 3つ目 終わり

3. 犀のスッタ集 終わり