14. Tuvaṭakasuttaṃ 速やかにやるべきこと ②
ここからはより具体的な実践方法になります。
SN-4-14-927
‘Akittayī vivaṭacakkhu, 見た 開いた・目 sakkhidhammaṃ parissayavinayaṃ; 証人・ダンマの 危機を・律する Paṭipadaṃ vadehi bhaddante, 実践の道を 答えてください ブッダよ pātimokkhaṃ athavāpi samādhiṃ’’. 戒律を あるいはまた 心の統一を
あなたが自ら証明された
困難を除く真理を知って
開眼しました。
ブッダよ
戒律や心の統一について
実践法を教えてください。
解説
pāṭimokkha:パーティモッカは、男性出家修行者のための227の規則と、女性出家修行者のための311の規則からなる戒律です。samādhi:サマーディは「心の統一」精神集中のことです。質問者(ブッダの化身)は、具体的な実践法を尋ねています。
SN-4-14-928
‘‘Cakkhūhi neva lolassa, 眼において ない・実に 動揺が gāmakathāya āvaraye sotaṃ; 村人・物語 妨げる 耳を Rase ca nānugijjheyya, 味において また ない・貪り na ca mamāyetha kiñci lokasmiṃ. ない また 私のもの・思う 何でも 世において
目で見たものに対して
決して心を動かさず
世俗の話題から耳をふさぎ
味にこだわらず
世の中の何であっても
「私のもの」と思ってはいけない。
解説
私たちは目で何かを見ては「オッ、かわいい」「ゲッ、嫌だ」と目まぐるしく心を動かしています。食べたものを「美味しい」と感じては喜び、「まずい」と感じては不愉快になり、勝手な味覚の判断によって、心が快・不快に揺れ動きます。「こないだ近所で事件があって」「あの人が昇格して」と俗っぽい話を聞いては、平静を装いつつも「私も巻き込まれていたら……」「私は昇格しないのか」と心が動揺します。
自分を取り巻く周囲の人や物質に「私のもの」とレッテルを貼ることで、私のものが、私から遠くなったり、近くなったりするたびに、心が揺れるのです。
SN-4-14-929
‘‘Phassena yadā phuṭṭhassa, 接触によって の時に 接触した paridevaṃ bhikkhu na kareyya kuhiñcñcci; 嘆きを 出家者は ない 為すように いかなる場合でも Bhavañca nābhijappeyya, 生存を・また ない・望むように bheravesu ca na sampavedheyya. 恐怖に対して また ない 怯えるように
何が起きても
出家者はいかなる場合でも
嘆いてはいけない。
生きることを望んだり
恐怖に対して
怯えることがないように。
解説
病気になった時でも、嘆いたり、「生きたい」と願ったり、死の恐怖に怯えたりすることは、出家者にはNGです。なぜなら、生命はいつか必ず死ぬので、それを避けることは不可能で、そのことで心を動かすことは、次の輪廻転生を招くからです。
「生きたい、死にたくない」という思いは、生存本能に基づく強い願望です。上下に激しく揺れるような大きな心の動揺を伴い、それが生命を輪廻させるエネルギー源となります。
SN-4-14-930
‘‘Annānamatho pānānaṃ, 米飯 飲み物 khādanīyānaṃ athopi vatthānaṃ; 固形食品 それから・また 衣服 Laddhā na sannidhiṃ kayirā, 得られても ない 蓄えを 為す na ca parittase tāni alabhamāno. ない また 怖れる それらを ない・得ても
米飯と飲み物
食品や衣服を得ても
それを貯め込まないように。
それらが手に入らなくても
不安にならないようにしなさい。
解説
人は貯め込むのが大好きです。未来の不安を心に作り出しては、それに備えて蓄えようとします。しかしあらゆる生命は、生きるために必要なものはすべて与えられるので、必要以上に得ることはありません。貯め込むことは自然の法則に反するので、その分どこかで何かを失うことになります。
SN-4-14-931
‘‘Jhāyī na pādalolassa, 瞑想者は ない 歩く・欲のままに virame kukkuccā nappamajjeyya; 止めるように 後悔を ない・混乱して忘れる Athāsanesu sayanesu, また・座所に 寝床に appasaddesu bhikkhu vihareyya. 少ない・音の 出家者は 住むように
瞑想者は落ち着いて
後悔するようなことは止め
常に気づきをもって
寝ているときも起きている時も
静かな環境に暮らすように。
解説
後悔するようなこと=悪い行為です。悪い行為はしてはいけませんが、人間は間違う生き物なので、間違ってしてしまうこともあります。しかし、そこで後悔してはいけないのです。
後悔は、自分の判断結果が好ましくなかったため、過去に別の判断をしたことを願う感情です。悪行為+自分の判断の否定+別の判断を望む、トリプルパンチです。後悔したところで現実は変わりません。失敗したままです。自分の過ちを認めて、直ちに改善すればいいだけなのです。
SN-4-14-932
‘Niddaṃ na bahulīkareyya, 休息を ない 多く・為すように jāgariyaṃ bhajeyya ātāpī; 目覚めて 遵守するように 熱心に Tandiṃ māyaṃ hassaṃ khiḍḍaṃ, 怠惰を 偽りを 笑いを 楽しみを methunaṃ vippajahe savibhūsaṃ. 性交を 捨てるように 飾ること
寝過ぎないようにして
熱心に気づいていること。
怠惰、欺瞞、笑い、娯楽
性行為、装飾をやめること。
解説
瞑想修行者は、深く眠りについている時以外は、眠りにつく直前まで気づきをもって、自身の心を観察し続けなければなりません。瞑想中は半睡眠状態なので、睡眠時間は少なくても問題ありません。むしろ瞑想によって覚醒し、眠れないこともありますが、そんな時でも、身体は横たえて休ませる必要がありますが、心が起きているなら観察を続けるのです。
欺瞞は、誤魔化したり、騙すことです。笑ったり、楽しんだりしても、時間を無為に過ごすだけです。装飾は、化粧をしたり、着飾ったり、上部を取り繕うことです。
SN-4-14-933
‘Āthabbaṇaṃ supinaṃ lakkhaṇaṃ, 魔術を 夢を 占いを no vidahe athopi nakkhattaṃ; ない 手配する あるいは・また 占星術を Virutañca gabbhakaraṇaṃ, 鳥獸声占いを 懐妊術を tikicchaṃ māmako na seveyya. 医学を 自分のものは ない 従う
魔術、夢、占い、占星術
鳥の鳴き声の解釈
懐妊術や医学に
従事してはならない。
解説
出家者は、占いや魔法といった迷信・根拠のない技術に頼るのはもちろん、医学にも携わってはいけません。まして子宝を授けるなどと称してはいけないのです。