第2章 Cūḷavagga 小さな章
第2章は、224〜406の合計183スッタで構成された「小さな章」です。
1. Ratanasuttaṃ 宝物のスッタ集 ①
修行者にとって「ratana(ラタナ)宝物」とは何でしょう? 修行者にとっての宝物は、3つあります。
このスッタ集は、三宝とはどのようなものか、ブッダ(覚者)は何をする人か、ブッダ が説いたダンマはどのようなものか、そのダンマを実践する修行者たち(サンガ)はどのような人たちなのか、を説明したものです。
ラタナ・スッタは、上座部(テーラワーダ)仏教の国々では、宗教的儀式として息災祈願の際に唱えられるパリッタの1つです。パリッタとは「保護・防御」という意味で、病気や危険に見舞われた時、その治病回復を期待して、自らあるいは僧侶に依頼して唱える経典です。
その背景には、以下のような伝承があります。
古代インドの商業都市ヴェーサーリーで、かんばつによる飢饉・疫病・悪霊が猛威をふるい、多数の死者が出たことがありました。この時、隣のマガタ国の首都ラージャガハに滞在していたブッダが、救済のために招かれました。
両国の王はブッダのために道をきれいに整備しました。ブッダ がヴェーサーリに足を踏み入れた途端、大雨が降って畑は潤い、死体はすべてガンジス川に流されてしまいました。悪霊はブッダの威光に退散し、ヴェーサーリーは一掃されました。
国王は喜び、せっかく来ていただいたブッダに、祝福していただきたいとお願いしました。そこで、ブッダに代わって従兄弟のアーナンダが、ヴェーサーリーの町を一周し、ブッダに教えられた通りに語ったのがこのスッタ集です。
SN2-1-224
Yānīdha bhūtāni samāgatāni, 彼ら・ここに 存在たち 集まった bhummāni vā yāni va antalikkhe; 地上に あるいは 彼ら あるいは 空中に Sabbeva bhūtā sumanā bhavantu, 一切・実に 存在は 幸福で あるように athopi sakkacca suṇantu bhāsitaṃ. 時に・また 尊敬して 聞きなさい 語ることを
地上に住むもの
あるいは空中にあるもの
ここに集まった生命あるものたちよ、
生きとし生けるものすべてが
幸せでありますように。
そして、これから話すことを
心してよく聞いてください。
解説
bhūta:既に生まれているあらゆる生命、万物、生とし生けるものです。微生物や目に見えない霊体も含みます。sakkacca:よく準備して、尊敬して。
SN2-1-225
Tasmā hi bhūtā nisāmetha sabbe, それ故 実に 存在たちよ 平等に すべての mettaṃ karotha mānusiyā pajāya; 慈しみを 行いなさい 人間たちに 人々に Divā ca ratto ca haranti ye baliṃ, 昼 と 夜 と 運ぶ 彼らを 供物を tasmā hi ne rakkhatha appamattā. それ故 実に 彼らを 守護しなさい 怠りなく
だから、みなさん
すべての人間に分け隔てなく
慈しみを持って接してください。
昼も夜も供え物を
運んでくる人間たちを
怠りなく守護してください。
解説
「人間たちを守りなさい」と言っているので、人間以外の存在に語りかけているのだと思います。天界やブラフマー界といった高次の存在なのか、動物や植物、微生物、物質的な要素がない存在なのかわかりません。何なのかは言及できませんので、「みなさん」としました。
SN2-1-226
Yaṃ kiñci vittaṃ idha vā huraṃ vā, もの いかなる 財宝 ここでの あるいは あの世の あるいは saggesu vā yaṃ ratanaṃ paṇītaṃ; 天界の あるいは もの 宝 優れた Na no samaṃ atthi tathāgatena, ない おそらく 等しく 存在 タターガタに idampi buddhe ratanaṃ paṇītaṃ; これ・も ブッダにとって 宝 優れた Etena saccena suvatthi hotu. この 真実において 幸せで あれ
この世やあの世の
いかなる財宝であろうと
あるいは天界の素晴らしい
宝物であろうと
タターガタに匹敵するものは
おそらくないでしょう。
これはブッダにとって
素晴らしい宝です。
この真実によって
幸せでありますように。
解説
Tathāgata(タターガタ):ゴータマ・ブッダは、自分自身や他のブッダを指す際にこの単語をたびたび使用しました。「このように去った者」(tathā-gata)、「このように来た者」((tathā-āgata)、あるいは「このように去らなかった者」(tathā-agata)を意味します。輪廻転生のサイクルから外れた人のことですが、ブッダ は先人・先輩のようなニュアンスで使っていたそうです。
SN2-1-227
Khayaṃ virāgaṃ amataṃ paṇītaṃ, 滅尽 離・欲望 不・死 優れた yadajjhagā sakyamunī samāhito; 所のもの 到達した シャーキヤ族の聖者が 確立した Na tena dhammena samatthi kiñci, ない それ ダンマ 同じで 何であれ idampi dhamme ratanaṃ paṇītaṃ; これ・も ダンマにとって 宝 優れた Etena saccena suvatthi hotu. この 真実において 幸せで あれ
シャーキヤ族の聖者が確立した
渇望の滅尽、欲からの解放
不死は素晴らしい。
この真理に匹敵するものはない。
これはダンマにとって
素晴らしい宝です。
この真実によって
幸せでありますように。
解説
「渇望の滅尽、欲からの解放、不死」=解脱です。ダンマ=真理=ブッダの教えが素晴らしい宝物であるということです。
SN2-1-228
Yaṃ buddhaseṭṭho parivaṇṇayī suciṃ, によって ブッダ・最上の 賞賛した 清浄 samādhimānantarikaññamāhu; 精神統一・無間の・もの・言う Samādhinā tena samo na vijjati, 精神統一はない それと 同じ ない 見出される idampi dhamme ratanaṃ paṇītaṃ; これ・も ダンマにおける 宝 優れた Etena saccena suvatthi hotu. この 真実において 幸せで あれ
最上のブッダが清浄になると
賞賛したのは
絶え間ない精神統一です。
この精神統一に匹敵するものはありません。
これはダンマにとって
素晴らしい宝です。
この真実によって
幸せでありますように。
解説
絶え間ない精神統一=瞑想だと思います。
SN2-1-229
Ye puggalā aṭṭha sataṃ pasatthā, 彼ら 個人 8つ 善き人々の 賞賛された cattāri etāni yugāni honti; 4つ これら 対の ある Te dakkhiṇeyyā sugatassa sāvakā, 彼は 供養されるべき 幸せな 弟子たち etesu dinnāni mahapphalāni; これらに 与えられた 大きな・結果 Idampi saṅghe ratanaṃ paṇītaṃ, これ・も サンガにおける 宝 優れた etena saccena suvatthi hotu. この 真実において 幸せで あれ
4つのペアとなる8人の人は
善き人々に賞賛され
お布施に値する幸せな弟子たちです。
これらの人に与えられるものは
大きな実を結びます。
これはサンガにとって
素晴らしい宝です。
この真実によって
幸せでありますように。
解説
サンガとは、一般的には出家修行者の集団を指しますが、実際には悟りの4段階に到達した、聖なる道に入った出家者の集団です。4つのペアとなる8人とは、悟りの4段階に到達した8人という意味で、4段階それぞれに、道半ばの人と道を完成した人がいるので、4段階×2人=8人となります。詳細はこちら。
第1段階のソーターパンナになると、いつか必ず解脱できることが決定するので、すでに聖人として扱われます。この8タイプの人々の集まりであるサンガは賞賛に値し、彼らにお布施をすると、大きな実り(功徳)となって返ってくる、というスッタです。
真剣に心の完全なる浄化を目指すことは、世俗の価値観では計り知れない恩恵があるので、その道を助ける行為=お布施は、確かに宇宙にとって大きな利益をもたらすと思います。しかしながら、世俗の価値観では、利益は欲の延長であり、「大きな実りとなる=お布施をするといいことがある」という結果を期待する解釈をしかねません。
このような言葉が一人歩きして、あるいはこのような言葉を私腹を肥やすことに利用する者が現れて、ブッダ の趣旨とはかけ離れた、欲まみれの「お布施・浄財」として受け継がれた面もあるように感じます。
SN2-1-230
Ye suppayuttā manasā daḷhena, 人たち 熱心に 意によって 確固たる nikkāmino gotamasāsanamhi; 無欲 ゴータマの・教えにおいて Te pattipattā amataṃ vigayha, 彼らは 得るものを得た 不・死に 進入 laddhā mudhā nibbutiṃ bhuñjamānā; 得て 無償で 心の平穏を 楽しんでいる Idampi saṅghe ratanaṃ paṇītaṃ, これ・も サンガにおける 宝 優れた etena saccena suvatthi hotu. この 真実において 幸せで あれ
ゴータマの教えに確信をもって
欲を捨て、懸命に努力した者は
不死の境地に至り
得るべきものを得て
無償で得た心の平穏を享受している。
これはサンガにとって
素晴らしい宝です。
この真実によって
幸せでありますように。
解説
不死の境地に至った=輪廻のサイクルから外れた=解脱した人=アラハンです。
SN2-1-231
Yathindakhīlo pathavissito siyā, ように・門柱 大地に・依存した あるだろう catubbhi vātehi asampakampiyo; 四方からの 風によって 動かせない Tathūpamaṃ sappurisaṃ vadāmi, そのように 善人と 語る・私は yo ariyasaccāni avecca passati; 人は 聖なる・真理を 確かに 見る Idampi saṅghe ratanaṃ paṇītaṃ, これ・も サンガにおける 宝 優れた etena saccena suvatthi hotu. この 真実において 幸せで あれ
大地に建てた門柱が
四方からの風に揺らがないように
聖なる真理を明らかに理解した人は
正しい人だと私は宣言します。
これはサンガにとって
素晴らしい宝です。
この真実によって
幸せでありますように。
解説
4つの聖なる真理を理解した人は、悟りの道に入った人です。