9. Vāseṭṭhasuttaṃ ヴァーセッタ④
バラモンについての27スッタの後は、ブッダのまとめになります。
SN-3-9-653
"Samaññā hesā lokasmiṃ, 共通・認識 これ 世における nāmagottaṃ pakappitaṃ; 名前・姓で 分別した Sammuccā samudāgataṃ, 同意により 受け入れた tattha tattha pakappitaṃ. そこで あそこで 分別した
世間のこの共通認識は
姓名で分類したもので
あちこちで分類して
同意した取り決めだ。
解説
Samaññā:saṃ(共に・同じ)aññā(了知)=共通認識。姓名によって「バラモン」になるのではなく、世間の習慣や取り決めで、バラモンと分類して同意しているだけだ、ということです。姓名でその人自身が決定するのではなく、姓名は人と人を区別することで、社会の利便性を高めるためにあるのです。
SN-3-9-654
"Dīgharattamanusayitaṃ, 長い・時間・潜在する diṭṭhigatamajānataṃ; 見解・誤った・知らないで Ajānantā no pabruvanti, 不知の人は 我々に 言う jātiyā hoti brāhmaṇo. 生まれにより 成る バラモンは
誤った見解だとは知らずに
長い間、思い込んで
気づかない人が私たちに
生まれによって
バラモンとなると言う。
解説
「徳川」姓に生まれても、生まれながらに将軍なわけでも、歌手なわけでもありません。ひとりの「徳川さん」です。徳川家に3人子供が生まれたら、区別するために、一郎、次郎、三郎などと名付けますが、それで人の価値が決まるわけではありません。
SN-3-9-655
"Na jaccā brāhmaṇo hoti, ない 生まれにより バラモンは 成る na jaccā hoti abrāhmaṇo; ない 生まれにより 成る 非バラモンは Kammunā brāhmaṇo hoti, 行為により バラモンは 成る kammunā hoti abrāhmaṇo. 行為により 成る 非バラモンは
生まれによって
バラモンになるのではない
生まれによって
バラモン以外になるのでもない。
行為によって
バラモンになり
行為によって
バラモン以外になる。
解説
バラモン階級に生まれたからバラモンになるのではないし、生まれによってバラモン階級以外の存在になることもない。行為によってバラモンとなり、行為によってバラモン以外の存在になる、ということです。
SN-3-9-656
"Kassako kammunā hoti, 農夫は 行為によって 成る sippiko hoti kammunā; 職人は 成る 行為によって Vāṇijo kammunā hoti, 商人は 行為によって 成る pessiko hoti kammunā. 下僕は 成る 行為によって
農夫は行為によってなる
職人は行為によってなる
商人は行為によってなる
使用人は行為によってなる。
解説
617からのスッタに立ち戻りました。
SN-3-9-657
"Coropi kammunā hoti, 盗人も 行為によって 成る yodhājīvopi kammunā; 兵士も 行為によって Yājako kammunā hoti, 司祭は 行為によって 成る rājāpi hoti kammunā. 王は 成る 行為によって
盗人も行為によってなる
兵士も行為によってなる
司祭は行為によってなる
王は行為によってなる。
SN-3-9-658
"Evametaṃ yathābhūtaṃ, このように ありのままに kammaṃ passanti paṇḍitā; 行為を 見る 賢者は Paṭiccasamuppādadassā, 縁起の道理を・見て kammavipākakovidā. 行為の・結果を・熟知する
このようにありのままに
人の行為を見る賢者は
縁起の道理を見て
行為の結果をよく理解している。
解説
Paṭiccasamuppāda(縁起の道理)とは、「何かが生じる時には、それが単独で生じることはなく、必ず他との関係が縁となって生じる」という真理です。私たち人間が存在することも、何かの事象が起こることも、すべてが原因や条件が相互に関係しあって発生します。詳細はアビダンマをご覧ください。
SN-3-9-659
"Kammunā vattati loko, 行為によって 起こる 世界は kammunā vattati pajā; 行為によって 起こる 人々は Kammanibandhanā sattā, 行為・結縛によって 衆生は rathassāṇīva yāyato. 車の・天幕のように 駆る
世界は行為によって成り立ち
人類は行為によって存在する
衆生が行為に結び付いている
駆ける馬車の幌のように。
SN-3-9-660
"Tapena brahmacariyena, 苦行によって 梵行によって saṃyamena damena ca; 自制によって 訓練によって そして Etena brāhmaṇo hoti, これらによって バラモンは 成る etaṃ brāhmaṇamuttamaṃ. これが バラモン・最高の
苦行によって梵行によって
自制によって訓練によって
これによってバラモンとなる
これが最上のバラモンである。
SN-3-9-661
"Tīhi vijjāhi sampanno, 3つ・実に 明智を・実に 成就した人 santo khīṇapunabbhavo; 寂静で 尽きた・再生・人 Evaṃ vāseṭṭha jānāhi, このように ヴァーセッタよ 知れ brahmā sakko vijānata’’nti. ブラフマー サッカ神 明智者・終極・と
まさに三明を成就した人は
寂静で生まれ変わらない人
ヴァーセッタよ
このように知りなさい
ブラフマー、サッカ神
終極の明智者だと。
解説
このスッタ集は、最初のスッタ599でヴァーセッタ が「私たち2人は、tevijjā(三明)として自他共に認められています」と自己紹介したところから始まり、この661のスッタで終わります。ブッダは、その最初の「tevijjā(三明)」を受けて、「Tīhi vijjā(3つ・実に・明智)=本当の三明」を成就した人はバラモンだ」と締め括ったのだと思います。
ヴァーセッタが言った「tevijjā」を「Tīhi vijjā」と言い換えることで、自他共認める三明のヴァーセッタの立場を否定せずに、事実を告げたのだと思います。さすがです。
なお、解説書によると、Tevijjā(三明):宿命通(自分の過去の出来事をすべて知る力)・天眼通(肉眼で見えない遠い所や微細なものを見ることができる力)・漏尽通(生まれ変わることはなくなったと知る力)だそうです。
あとがき要旨
このように言われたので、若者のヴァーセッタとバーラドヴァージャは世尊に次のように言いました。
尊いゴータマよ、素晴らしいことです! 倒されていたものを起こし、隠されていたものを明らかにし、道に迷っている者に道を教え、暗闇の中で灯りを差し出し、目のある者がその対象を見ることができるように。尊いゴータマに帰依し、ダンマに帰依し、比丘のサンガに帰依します。尊いゴータマが、今日から終生帰依する私たちを弟子として迎えてくださいますように。
Vāseṭṭhasuttaṃ navamaṃ niṭṭhitaṃ. ヴァーセッタ・スッタ集 9番目 終わり
9. ヴァーセッタ のスッタ集 終わり
このスッタ集は、スッタニパータ の中でも最長の63スッタあり、どうなることかと思いましたが、内容がとてもわかりやすく、まさに理に適っていて、納得できるスッタ集でした。