第3章 大きな章:9. ヴァーセッタ③ 626〜652

9. Vāseṭṭhasuttaṃ ヴァーセッタ③

ブッダは「バラモンとは無所有で無執着の人」と宣言しました。ここからは、その具体例を27のスッタでブッダが説明してくれます。

SN-3-9-626

"Sabbasaṃyojanaṃ chetvā, 
全ての・束縛を 切断
so ve na paritassati;
人は 実に ない 怖れ
Saṅgātigaṃ visaṃyuttaṃ, 
執着・超えた 離・束縛を
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

すべてのしがらみを
断ち切った人に怖れはない。
執着を超えて
束縛を手放した人を
私はバラモンと呼ぶ。

解説

しがらみ(柵)は、水流をせき止めるために川の中に杭を打ち並べ、木の枝や竹などを絡みつけたものです。「まとわりつくもの・妨げ・邪魔するもの・行動を躊躇させるもの」=Saṃyojana(束縛)としました。Paritassati:pari(完全に)tasa(震え・動揺)=怖れです。

SN-3-9-627

"Chetvā naddhiṃ varattañca, 
切断 紐 縄・と
sandānaṃ sahanukkamaṃ;
鎖を 共に・手綱を
Ukkhittapalighaṃ buddhaṃ, 
挙げる・かんぬき(障害)を 覚った
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

紐、縄、鎖でできた
手綱を断ち切り
五蓋を除いて目覚た人を
私はバラモンと呼ぶ。

解説

紐、縄、鎖の順に切断しにくくなります。(敵意・怒り)、(渇望)、(束縛)という anukkama 手綱(握りしめているもの)を断ち切って、paligha かんぬき(障害=五蓋)を引き抜いた人は覚者アラハンです。

SN-3-9-628

"Akkosaṃ vadhabandhañca, 
侮辱を 殺害・拘束を・と
aduṭṭho yo titikkhati;
無・悪意の 人は 耐える
Khantībalaṃ balānīkaṃ, 
忍耐力ある 強い・軍の
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

侮辱されても
殴られても拘束されても
悪意を抱かずに耐える
忍耐力のある強靭な人を
私はバラモンと呼ぶ。

解説

アラハンは、たとえ殺されかけても、「あぁ、これもまた自分がかつてしたことなのだ」と納得します。ブッダの二大弟子の1人、長老モッガラーナは、暴行されて瀕死となった時、サーリプッタから「なぜ神通力を使って逃げなかったのか」と問われて、「自分が過去世でした業の結果だから」と答えました。いやー、長老でもいろいろあるのですね。詳細は「ダンマパダ 10章:暴力139」をご覧ください。

SN-3-9-629

"Akkodhanaṃ vatavantaṃ, 
ない・憤怒 禁戒ある
sīlavantaṃ anussadaṃ;
戒・守る 無・ 増勢
Dantaṃ antimasārīraṃ, 
訓練された 最後・身体を
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

怒りがなく戒を誓って
戒めを守り欲がなく
訓練された最後の肉体を
私はバラモンと呼ぶ。

解説

解脱した人は、輪廻を脱しているので、死んでも生まれ変わることはありません。よって現世の身体が、最後の肉体になります。

SN-3-9-630

"Vāri pokkharapatteva, 
水 蓮の・葉・のように
āraggeriva sāsapo;
針の・先・のように 芥子粒
Yo na limpati kāmesu, 
人は ない けがす 欲望によって
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

水を弾く蓮の葉のように
針の先のケシ粒のように
快楽によって心を汚さない人を
私はバラモンと呼ぶ。

解説

蓮の葉は水を弾く性質があるので、水は浸透することなくコロコロ転がります。また、先の尖った針の先に、芥子の種子を乗せようとしても、すぐに落ちてしまいます。そのように快楽を弾くように受け付けない、ということです。

SN-3-9-631

"Yo dukkhassa pajānāti, 
人は 苦しみについて 知る
idheva khayamattano;
ここで・実に 滅尽・自己
Pannabhāraṃ visaṃyuttaṃ, 
おろした・重荷を 離・束縛を
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

苦しみについて理解し
この世で確実に自分を滅尽し
しがらみを手放して
重荷をおろした人を
私はバラモンと呼ぶ。

解説

重荷ってなんでしょう? 学校や社会、人間関係、夢も理想も、家も財産も家族もすべてが、重荷になります。手に入らなければ不満で心に重くのしかかり、手に入れば失うことを怖れて重荷となります。重荷は、負担・つらいことです。「家族の世話になりたくない。迷惑かけたくない」と思うのも、自分が重荷になりたくないということです。

SN-3-9-632

"Gambhīrapaññaṃ medhāviṃ, 
深い智慧の 賢者を
maggāmaggassa kovidaṃ;
道・非道について 熟知する
Uttamatthamanuppattaṃ, 
最上の・利益を・得た
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

道と非道を熟知する
深い智慧の賢者
最高の目的を達した人を
私はバラモンと呼ぶ。

解説

Amagga 非道とは、どんな道でしょう? 極悪非道という言葉があるように、極道・邪道「道理に背き、人として道を外れること」だと思われていますが、「magga(マッガ)(真理への道)」に対する「Amagga(アマッガ)非道真理に至らない道」です。つまりは私たちが、人として当たり前だと思っている世俗の道非道です。

SN-3-9-633

"Asaṃsaṭṭhaṃ gahaṭṭhehi, 
ない・親交 在家・さえ
anāgārehi cūbhayaṃ;
出家・さえ と・両
Anokasārimappicchaṃ, 
無・家・放浪者・小欲の
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

在家者とも
出家者とも関わらず
住む家もなく放浪し
足を知る人を
私はバラモンと呼ぶ。

解説

世俗の人々だけでなく、出家者とも距離をおくのです。スッタニパータ 第1章「3. 犀(サイ)ように独りで歩く」ですね。

SN-3-9-634

"Nidhāya daṇḍaṃ bhūtesu, 
下に置く 棒を 生き物において
tasesu thāvaresu ca;
怯える者を 動じない者を と
Yo na hanti na ghāteti, 
人は ない 殺す ない 殺させる
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

怯える者でも動じない者でも
生き物に対して武器を置いて
傷つけない傷つけさせない人を
私はバラモンと呼ぶ。

解説

自分が暴力を振るわないだけでなく、他の存在に暴力を振るわせもしない、ということです。

SN-3-9-635

"Aviruddhaṃ viruddhesu, 
不・害意の 害意の人々において
attadaṇḍesu nibbutaṃ;
取る・棒の人々において 涅槃に達する
Sādānesu anādānaṃ, 
執着ある人々において 無執着の
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

敵意のある人々の中で
敵意なく
暴力的な人々の中で
安穏であり
執着ある人々の中で
無執着の人を
私はバラモンと呼ぶ。

SN-3-9-636

"Yassa rāgo ca doso ca, 
その人の 欲望 と 怒り と
māno makkho ca pātito;
慢心 偽善 と 落ちた
Sāsaporiva āraggā, 
芥子粒・のように 針の・先 
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

針の先のケシ粒のように
欲望と怒り
傲慢と偽善が落ちた人を
私はバラモンと呼ぶ。

解説

欲も怒りも慢心も偽善も、針の先のケシ粒のように、留めようと思っても落ちるしかない状態です。つまり頑張らなくても、自然に落ちるということだと思います。

SN-3-9-637

"Akakkasaṃ viññāpaniṃ,
ない・粗暴 明瞭な伝達
giraṃ saccamudīraye;
音声 真実・述べる
Yāya nābhisaje kañci, 
人を ない・不機嫌にさせる 誰も
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

キツイ言い方ではなく
ハッキリと伝わる声で
真実を語り
誰も不快にしない人を
私はバラモンと呼ぶ。

解説

giraは「音声」です。改めて目で見る文字耳で聞く声による伝達の違いを感じました。人間が発する音としての言葉には、内在する力があるようです。確かに、緊張している人の声は震え、自信に溢れている人の声は堂々としています。100人いれば100人の言葉になり、そこから受ける印象はさまざまだと思います。

SN-3-9-638

"Yodha dīghaṃ va rassaṃ vā, 
人は・この 長い 或は 短い 或は
aṇuṃ thūlaṃ subhāsubhaṃ;
小さい 大きい 浄・不浄
Loke adinnaṃ nādiyati, 
世界で 不与の ない・取る
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

長くても短かくても
小さくても大きくても
清浄でも不浄でも
この世で与えられていないものを
取らない人を
私はバラモンと呼ぶ。

解説

与えられていないものを取ることは、五戒の1つである「盗み」です。強盗や強奪はもちろんですが、無駄話での時間泥棒や、割り込みも与えられていないものを取る行為です。

SN-3-9-639

"Āsā yassa na vijjanti, 
希望 その人には ない 見出す
asmiṃ loke paramhi ca;
この 世界で あちらで そして
Nirāsāsaṃ visaṃyuttaṃ, 
ない・希望が 離れ・結合を
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

現世でも来世にも
望みがなく
望みもこだわりもない人を
私はバラモンと呼ぶ。

解説

これはある意味「絶望している」状態です。絶望とは「人間終わった大失敗した」と私たちは考えます。手の打ちようがなく夢も望みもすべて消えて、 まったく期待が持てなくなる状態ですが、これは夢にも希望にも捉われなくなり、解放された状態です。「人間終わった解脱した」でもあるのです。

絶望から大成功に転じたような人は大勢います。絶望して諦め、自分に見切りを付けて捨て、自己から解放されて脱皮したことで、ステップアップできたのではないでしょうか。逆に、絶望して後悔し続け、嘆き続ける人もやはり大勢いますが、その人たちは脱皮できず、悩み苦しんでいますよね。同じことだと思います。

SN-3-9-640

"Yassālayā na vijjanti, 
その人には・執着 ない 見出す
aññāya akathaṃkathī;
了知して ない・疑うことが
Amatogadhamanuppattaṃ, 
不死に・潜入・得た
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

その人には執着がなくなり
完全に理解しているので
疑うこともない
不死の涅槃に到達した人を
私はバラモンと呼ぶ。

SN-3-9-641

"Yodha puññañca pāpañca, 
この世で 善と 悪と
ubho saṅgamupaccagā;
両方の 執着・過ぎ去った
Asokaṃ virajaṃ suddhaṃ, 
ない・悲しみ 離・塵で 純粋で
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

この世において善と悪と
両方の執着がなくなり
嘆くことがなくなり
穢れから解放された純粋な人を
私はバラモンと呼ぶ。

解説

善とか悪とか決めることが、そもそも判断です。善も悪も、状況やタイミングによって変化します。絶対的な善も悪もないのです。何かを「」とした瞬間にその対極である「」が比較の対象として出現します。アラハンは比較も判断もしないので、善も悪も分け隔てることはなく、そのどちらにもこだわりません。だから反意を感じる対象もないのです。

その状態で、ヴィパッサナー瞑想による観察を続ければ、新しい穢れのエネルギーを外から取り入れることがないので、心の奥深くに蓄積した古い穢れ(Saṅkhāra)がエネルギーとして消化され、やがて穢れが尽きれば心は純粋になります。

SN-3-9-642

"Candaṃva vimalaṃ suddhaṃ, 
月・のように 離・垢で 純粋で
vippasannamanāvilaṃ;
清く明るい・心で
Nandībhavaparikkhīṇaṃ, 
喜び・存在・滅尽した
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

月のように無垢で純粋で
清く明るい心で
喜びを滅尽した存在を
私はバラモンと呼ぶ。

SN-3-9-643

"Yomaṃ palipathaṃ duggaṃ, 
人はこの  泥沼を 難・行きを
saṃsāraṃ mohamaccagā;
輪廻を 無知を・超えて
Tiṇṇo pāraṅgato jhāyī, 
渡った人 他岸に・行った人 瞑想者
anejo akathaṃkathī;
無・欲望 無・疑うこと
Anupādāya nibbuto, 
無執着 涅槃到達者
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

この行き難い泥沼を通過し
輪廻を、無知を超えて渡った人
彼岸に到達した瞑想者
欲望もなくなり疑いもなくなり
何ものにも囚われることがない
涅槃に至った人を
私はバラモンと呼ぶ。

解説

Jhāyī は瞑想者ですが、jhāには、瞑想(to meditate)という意味の他に、思いに沈む(to muse)、燃焼(to burn)という意味もあります。このことからJhāyīヴィパッサナー瞑想を示唆していて、「洞察瞑想によって心の穢れを燃焼する」と解釈できるのではないでしょうか。

SN-3-9-644

"Yodha kāme pahantvāna, 
人を・ここで 快楽を 捨てて
anāgāro paribbaje;
出家者は 遍歴する
Kāmabhavaparikkhīṇaṃ, 
快楽・存在・滅尽した
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

この世での快楽を捨てて
出家して遍歴する
楽しみを滅尽した存在を
私はバラモンと呼ぶ。

SN-3-9-645

"Yodha taṇhaṃ pahantvāna, 
人を・ここで 渇望を 捨てて
anāgāro paribbaje;
出家者は 遍歴する
Taṇhābhavaparikkhīṇaṃ, 
渇望・存在・滅尽した
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

この世での渇望を捨てて
出家して遍歴する
渇望を滅尽した存在を
私はバラモンと呼ぶ。

SN-3-9-646

"Hitvā mānusakaṃ yogaṃ, 
捨てて 人間の 縛りを
dibbaṃ yogaṃ upaccagā;
天界の 縛りを 越えて行く
Sabbayogavisaṃyuttaṃ, 
すべて・縛り・離・関係を
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

人間的な絆を捨てて
神的な呪縛も越えて行く
あらゆる関係
縛りから離れた人を
私はバラモンと呼ぶ。

解説

人間関係・絆・呪縛、いずれにせよ自分のイメージが作り出した、心を縛る「結び」です。何かと何かを結び付けることで、縁が結ばれて関係性ができ、固定した概念となります。最初は緩い結び目でも、いつの間にか固い縛り目となり、自分でも気づかないうちに反射的にこだわるようになります。

SN-3-9-647

"Hitvā ratiñca aratiṃ, 
捨てて 楽・と 不楽を
sītibhūtaṃ nirūpadhiṃ;
穏やかで 無依存の
Sabbalokābhibhuṃ vīraṃ, 
すべて・世界・征服した 英雄を
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

楽しみも不満も離れて
穏やかで依存しない
すべての世界を征服した英雄を
私はバラモンと呼ぶ。

解説

すべての世界とは、人間界を含む11の欲界(感覚のある存在領域)、16のルーパ・ブラフマー界4のアルーパ・ブラフマー界、計31の存在領域だと思います。

SN-3-9-648

"Cutiṃ yo vedi sattānaṃ, 
消えるを 人は 経験した 存在の
upapattiñca sabbaso;
現れるを・そして すべて・それは
Asattaṃ sugataṃ buddhaṃ, 
無執着 善く行く 覚者を
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

存在の消滅と生起が
すべてに当てはまると
経験した人は
何ものにも執着しない
善行の覚者であり
私はバラモンと呼ぶ。

SN-3-9-649

"Yassa gatiṃ na jānanti, 
その人の 行方を ない 知る
devā gandhabbamānusā;
神々も 音楽神・人間も
Khīṇāsavaṃ arahantaṃ, 
尽きた・煩悩が アラハンを
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

神々も音楽神も人間も
その人の行き先を知らない。
煩悩が尽きたアラハンを
私はバラモンと呼ぶ。

SN-3-9-650

"Yassa pure ca pacchā ca, 
その人の 前に も 後に も
majjhe ca natthi kiñcanaṃ;
中間に も ない なにものか
Akiñcanaṃ anādānaṃ,
無所有の 無執着の人
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

過去にも未来にも
現在にも何もこだわらない
無所有で無執着の人を
私はバラモンと呼ぶ。

SN-3-9-651

"Usabhaṃ pavaraṃ vīraṃ, 
高貴な人 最上の人 英雄
mahesiṃ vijitāvinaṃ;
大仙人 征服者
Anejaṃ nhātakaṃ buddhaṃ, 
不動者 浄行者 覚醒者
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

高貴な人、最上の人
英雄、偉大な仙人、征服者
不動の人、浄化された人
覚醒した者を
私はバラモンと呼ぶ。

SN-3-9-652

"Pubbenivāsaṃ yo vedi, 
前の・住処を 人は 知る
saggāpāyañca passati;
天界・苦界・と 見る
Atho jātikkhayaṃ patto, 
時に 誕生・滅尽を 得た人
tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ バラモンと

過去世を知り
天界と悪趣を見て
再び生まれるのを止めた人を
私はバラモンと呼ぶ。

解説

このスッタでブッダの「私はバラモンと呼ぶ」シリーズは完了です。