第1章 蛇:7. ヴァサラ・卑しい人 117〜125話

7. Vasalasuttaṃ ヴァサラ・卑しい人 ②

SN1-7-117

‘‘Ekajaṃ vā dvijaṃ vāpi,
1回生まれる あるいは 2回生まれる 或はまた
yodha pāṇaṃ vihiṃsati;
人・この世で 生き物を 害する
Yassa pāṇe dayā natthi,
人には 生き物に対し  慈悲心が ない
taṃ jaññā vasalo iti.

この世に1回生まれたか
2回生まれたかに関わらず
生き物を害したり
生き物に対する思いやりのない者
それがヴァサラと知るべきです。

解説

「1回生まれる」とは、母体から生まれる哺乳類、胎生動物のことです。「2回生まれる」とは、卵で1回生まれて孵化して2回に生まれるもの、卵生動物のことです。

SN1-7-118

‘‘Yo hanti parirundhati,
人は 襲う 占領する
gāmāni nigamāni ca;
村を 町を と
Niggāhako samaññāto,
抑圧者 知られた
taṃ jaññā vasalo iti.

村や町を襲ったり
暴力で抑圧して
支配者として知られている者
それがヴァサラと知るべきです。

解説

抑圧する者=支配者がいるから抑圧される者(被抑圧者)が生まれます。被抑圧者は、最も貧しく待遇の悪い社会的弱者です。一般的には、恵まれない人々、貧困層、社会の底辺、最下層民、無産階級、不可触民、被差別民、賤民、穢多非人と呼ばれる被支配層の人々です。これはブッダの時代のインドの話ではありません。現代の日本社会も例外ではないのです。

日本では表向きこそ、被差別部落民穢多非人の存在は目立ちませんが、食肉処理、葬儀、皮革加工や汚物処理など、「不浄」とされた職業に従事する人々に対する偏見は、今だに根強く残っています。「穢多(えた)非人」とは、「穢(けが)れが多く、人間ではない」という意味です。このような事実が現在の日本にも確かにあるのは、被差別部落民や穢多非人が存在するからではありません。そのような差別をする人、抑圧する人がいるからです。

117と118は、五戒の1番目「生き物を殺さない」という戒めに反する人です。本来、ヴァサラはどの時代、どの国にあっても、害されたり殺されたり蔑まれたりする対象ではなく、思いやりを持って接し、助けが必要な弱者です。

SN1-7-119

‘‘Gāme vā yadi vā raññe, 
村 あるいは もし 森の中
yaṃ paresaṃ mamāyitaṃ;
物を 他人 所有物 
Theyyā adinnamādeti,
盗む 否・与えられた
taṃ jaññā vasalo iti.

村でも森の中でも
他人の所有物や
与えられていないものを
盗んで横取りする者
それがヴァサラと知るべきです。

解説

五戒の2番目「盗まない」という戒めに反する人です。盗む行為は、「窃盗」だけに限ったことではありません。自分の順番じゃないのに、割り込むのは、自分に与えられていないものの横取りです。無駄話をして他人の時間を浪費するのは、時間泥棒です。他人に有利な情報を隠し、自分の有利になるよう物事を進めるのも、自分に与えられていない情報の横取りです。こうして考えると、実はたくさんの盗みを私たちはしているのです。

与えられていないものを取る」ということは、「与えられたものだけでは満足できない」ということです。与えられたものは、自然がその人に必要だとみなしたものです。それ以上を求めることは、真理に反するのです。

SN1-7-120

‘‘Yo have iṇamādāya, 
人は 確かに 借金・した
cujjamāno palāyati;
叱られる 逃げる
Na hi te iṇamatthīti,
ない 実に あなたに 借金・ある
taṃ jaññā vasalo iti.

確かに借金をしておきながら
返済を迫られると
借金をした覚えはないと言い逃れをする
それがヴァサラと知るべきです。

解説

五戒の2番目「盗まない」と4番目「嘘をつかない」という2つの戒めに反する行為です。借金をしているのに、借金をしてないというのですから、嘘をつき、自分に与えられていない「借りたお金」を横取りしたことになります。その場が仮に誤魔化せたとしても、信用されなくなるでしょう。

人に限らずあらゆる生命は、多くの生命の共同・協力の関係があって生きているのです。その関係を支えているものは信頼です。偽りを語るということは、他から信頼されなくなり、助けを得る機会が減るということです。

SN1-7-121

‘‘Yo ve kiñcikkhakamyatā, 
人は 実に 些細・物を欲しがる 
panthasmiṃ vajantaṃ janaṃ;
道路・存在 行きつつ 人を
Hantvā kiñcikkhamādeti,
殺す 些細・物を奪う
taṃ jaññā vasalo iti.

わずかなものが欲しくて
道ゆく人を殺してまで
そのわずかのものを奪いとる
それがヴァサラと知るべきです。

解説

生き物を殺す、盗む。実に簡単な動機で、人はこのような行為をしてしまうのです。

SN1-7-122

‘‘Attahetu parahetu, 
自分のため 他人のため
dhanahetu ca yo naro;
財のため と 人は 人
Sakkhipuṭṭho musā brūti,
証人招致 嘘を 言う
taṃ jaññā vasalo iti.

自分のため他人のため
あるいは富のために
意見を求められた時に
偽りを言う人
それがヴァサラと知るべきです。

解説

裁判の証人喚問で偽証する機会はなくても、もっと身近なところで、私たちは嘘を重ねています。退社時刻間際に同僚から「この書類の数字、大丈夫かな?」と聞かれて、早く帰りたいがためによく見もせずに「いいと思うけど(間違ってても自分のせいじゃないし)」と答えたり、「この服どうかな?」と友達から聞かれて、似合っていないと思っても友達のために「いいね」と言ってしまう。これらの発言は偽りの自覚はなくても、自分の利益、自分の満足を得るための偽証です。これも自然の法則、真理に反すものです。

SN1-7-123

‘‘Yo ñātīnaṃ sakhīnaṃ vā, 
人は 親族の 友人の あるいは
dāresu paṭidissati;
女と 見られる
Sāhasā sampiyena vā, 
暴力 合意の あるいは
taṃ jaññā vasalo iti.

親族あるいは友人の妻と
力ずくあるいは
合意の上で逢う者
それがヴァサラと知るべきです。

解説

五戒の3番目「不適切な性行為」を戒める教えです。人の本能として、睡眠欲食欲とともに性欲があげられますが、性欲は子孫を増やすための生殖欲求であり、人間が生命を維持するためには必要ありません。付属する感覚的快楽を求める欲望であり、承認欲を満たすための社会的欲望でもあります。まして生殖時期を過ぎた人にとっては、明らかに快楽・承認欲を目的とした行為です。欲に基づく行為は悪行為であり、コントロール可能な行動です。

SN1-7-124

‘‘Yo mātaraṃ pitaraṃ vā, 
人は 母を 父を あるいは
jiṇṇakaṃ gatayobbanaṃ;
老人 過ぎた・盛りを
Pahu santo na bharati, 
可能な あるのに ない 養う
taṃ jaññā vasalo iti.

年老いた母や父を
養うことができるのに
扶養しない者
それがヴァサラと知るべきです。

解説

このスッタは、6.破滅のスッタ集の98話と、最終行以外まったく同じです。

SN1-7-125

‘‘Yo mātaraṃ pitaraṃ vā, 
人は 母を 父を あるいは
bhātaraṃ bhaginiṃ sasuṃ;
兄弟を 姉妹を 姑を
Hanti roseti vācāya, 
殴る 争う 言葉で
taṃ jaññā vasalo iti.

母や父、兄弟姉妹、姑に
乱暴したり罵ったりする者
それがヴァサラと知るべきです。

解説

殴ったり暴力を振るうことはもちろんですが、言葉の暴力も同じです。同様に無視も暴力です。どのような手段であっても、他者を傷つける行為は暴力です。