第3章 大きな章:7. セーラ① 553〜566

7. Selasuttaṃ:セーラのスッタ集 ①

このスッタ集は、古代インドで伝承されていた「偉大な人物の印である三十二相(32の身体的な特徴)」についてのものです。三十二相について、真偽の程はわかりませんが、そういう考えが当時あったことは事実のようです。

前文要旨

ブッダが1250人の比丘たちと一緒にアングッタラーパ地方を遍歴し、アーバナという町に入った時のことです。結髪行者のケーニヤはこう聞きました。「釈迦族の息子である、道の人ゴータマは、出家して1250人の比丘サンガと共に、アングッタラーパを遍歴して、アーバナに到着した。尊いゴータマには、このような名声がある。──尊い人は、アラハンであり、サンマーサンブッダ、完全な智慧を備えた明智者、善逝者、宇宙を知る人、無上の人、人々を導く者、神々と人間との師、覚者、尊師である。自ら悟り、神通力が自在であり、神々・魔物・ブラフマーを含むあらゆる界の、神々や人間、ブラフマーに教えを説く人、だと」。

結髪行者のケーニヤは早速ブッダ を訪ね、教えを乞ました。ブッダの完璧な教えに感銘を受け、勇気づけられたケーニヤは、ブッダとサンガの比丘たちを食事に招きました。ブッダ は比丘が1250人もいることを告げましたが、それでもケーニヤに請われたので招待に応じました。ケーニヤはアーパナにある自分の庵に戻り、友人や使用人、親戚や近親者に呼びかけて、ブッダと比丘サンガたちを迎える準備を始めました。

そこにヴェーダに精通したバラモンの学者セーラが、マントラを指導していた300人の若者を連れて通りかかりました。セーラはケーニヤたちが忙しそうに準備する様子を見て「結婚式ですか? それとも王様が来るのですか?」と尋ねました。ケーニヤが「ゴータマ・ブッダが明日、ここに食事に来るのです!」と告げました。セーラは驚いて聞き返しました。

「ケーニヤよ、ブッダ? ブッダと言いましたか?」
「セーラよ、はい、ブッダです」
「ケーニヤよ、覚者だと言うのですか?」
「セーラよ、はい、覚者です」 

もし本物の正覚者であれば、偉大な人物の印である32の身体的な特徴があるはずだ、とセーラは考えました。ヴェーダの聖典には、「三十二相を備えた偉大なる人物は、家を継げば世界を征する大王となり、出家すればサン・ブッダ(正覚者)となって世の人々を救う」とあるのです。セーラはそれを自分の目で確かめようと思いました。

「ケーニヤよ、彼はいまどこに? 尊いゴータマは、アラハンは、サンマー・サン・ブッダ(完全なる正覚者)は、どこにいるのですか?」

ケニヤがブッダの居場所を指差すと、セーラは300人の若者たちとともに、世尊の元へと向かいました。途中、セーラは若者たちに「私がブッダと話す間、決して途中で割り込んではいけない」と言いつけました。

セーラは世尊に会って座りました。セーラはブッダを見て32の特相のうち、2つを除いてはすぐに見つけることができました。しかし残り2つ、衣に隠れた陰部の特徴と大きな舌に関しては、確めることができず、セーラはサン・ブッダだと確信できませんでした。

そのことに気づいた世尊は、セーラが自分の陰部を見ることができるように、神通力でそのような形態を創造してセーラに見せました。さらに世尊は舌を出して、両耳に順に触れ、両鼻孔に触れ、額をすべて舌で覆って見せました。

それを見たセーラは、「このサマナ・ゴータマの身体的な32の特徴は完璧だ。しかし、彼が覚醒しているかどうかはわからない。長老たちが、『価値あるサンマー・サン・ブッダは、自分が賞賛されると、姿を現す』と言うのを聞いたことがある。もし私が、ゴータマを賞賛したら、どうなるか見てみよう」と考えました。
そこでバラモンのセーラは、サン・ブッダに向かって賞賛を始めました。

解説

セーラは偉大な人物の特徴である三十二相について確認しました。しかし、三十二相があるからといって、サン・ブッダであるとは限りません。三十二相アラハン(覚者)の特徴ではなく、世界を制する大王、または世を救うサン・ブッダになる人物の特徴です。大王の道に進んでいる偉大な人かもしれません。

そこで「完全な覚りを開いた人は、自分が賞讃されるときには、自身を示現する」と長老たちが言っていたことを思い出し、セーラはブッダを褒めて、ブッダがどう反応するかを見ることにしました。

三十二相に関しては正直なところ、あまりに人間離れした姿形で、ブッダの外見がこの通りであったとは思えませんが、とりあえず書かれてある通りに翻訳しています。

SN-3-7-553

"Paripuṇṇakāyo suruci, 
完全・満ちた・身体は よい・愛好
sujāto cārudassano;
よい生まれ 美しい・見た目
Suvaṇṇavaṇṇosi bhagavā, 
黄金色の 世尊よ
susukkadāṭhosi vīriyavā.
よい白い歯を持つ 精進ある人

セーラ:
あなたの身体は完璧だ
誰からも愛されて
美しい容姿を備えた
高貴な生まれの人です。
並びのよい白い歯を持ち
金色に輝く世尊よ、
あなたは精進する人です。

解説

高貴な生まれの人とは、一般的な家柄や素性がいいということではなく、非常に価値がある人=偉大な人物という意味です。

SN-3-7-554

"Narassa hi sujātassa, 
人の 実に よい・生まれ
ye bhavanti viyañjanā;
それらは ある 特徴
Sabbe te tava kāyasmiṃ, 
すべて それは あなたの 身体に
mahāpurisalakkhaṇā.
偉大な・男・特相

まさに高貴な人物の特徴が
偉大な人物の特相が
あなたの身体にすべてある。

SN-3-7-555

"Pasannanetto sumukho, 
澄浄の・眼は  よい・顔は
brahā uju patāpavā;
大きい 直立 光輝いている
Majjhe samaṇasaṅghassa, 
中で 沙門・サンガの
ādiccova virocasi.
太陽・のように 輝く

美しい顔立ちに
清く澄んだ瞳で
大きな身体は真っ直ぐで
威厳がある。
沙門のサンガの中で
太陽のように輝いている。

解説

人を外見で判断してはいけませんが、それでもやはり心の美しさは身体に現れます。特に瞳は、わかりやすいのではないでしょうか? 魚のように死んだ眼の人もいれば、キラキラ輝く瞳の人もいます。

かつて某宗教団体のナンバー2と言われ、報道陣の目の前で刺殺されたM氏は、大変澄んだきれいな目をしていたそうです。ジャーナリストのT氏とA氏が「あんなに目がきれいな男には初めて会った」と言っていました。M氏がしたことは私たちの社会では恐ろしい悪事ですが、その心はひたすら純粋だったのかもしれません。

SN-3-7-556

"Kalyāṇadassano bhikkhu, 
美しい・見た目の 比丘
kañcanasannibhattaco;
黄金・のような・皮膚
Kiṃ te samaṇabhāvena, 
何に あなたに 沙門・状態が
evaṃ uttamavaṇṇino.
このように 最高の・美貌

黄金のような肌の
美しい容姿の比丘
これほどに最高の美貌の
あなたが沙門であって
何になるのか?

解説

比丘にしておくにはもったいないほどのイケメンだったようです。

SN-3-7-557

"Rājā arahasi bhavituṃ, 
王が 値する 存在が
cakkavattī rathesabho;
輪の・君主 車乗の主
Cāturanto vijitāvī, 
四方を 征服して
jambusaṇḍassa issaro.
インドの 領主

あなたには王がふさわしい。
転輪王、万物の帝王として
四方(大地)を支配する
インドの統治者が値する。

解説

転輪王とは、古代インドの伝記上の理想的な帝王のこと。 この王が世に現れるときには天の車輪が出現し、王はその先導のもとに武力を用いずに全世界を制覇すると言われています。

四方を支配する」とは、古代インドの世界観で地球上に4つあるとされた大陸のすべてを支配するという意味だと思います。

SN-3-7-558

"Khattiyā bhogirājāno, 
王侯貴族 裕福な・王たち
anuyantā bhavantu te;
従う者 なるだろう あなたに
Rājābhirājā manujindo, 
王・王の中の 人々の帝王
rajjaṃ kārehi gotama".
王権を 為せよ ゴータマ

クシャトリヤ(王侯貴族)や
裕福な王たちは
あなたに従うだろう。
ゴータマよ
王の中の王として
人々の帝王として
王位についてください。

解説

カリスマ性のある人に、人々は従います。まさにブッダがそんな人だったのでしょう。

SN-3-7-559

"Rājāhamasmi selāti,
王である・私は セーラよ
 (bhagavā) 
世尊は
dhammarājā anuttaro;
ダンマの王 無上の
Dhammena cakkaṃ vattemi, 
ダンマによって 輪を 転じる・私は
cakkaṃ appaṭivattiyaṃ".
輪を 反・転しない

ブッダ:
セーラよ、
私は王です。
私は比類ない真理の王です。
抗えない輪を法則に従って
私は転じるのです。

解説

Dhammarājāダンマ・ラージャ(ダンマの王)とは、真理の王です。ダンマは、自然の法則・宇宙の法則です。ブッダはダンマに従って輪を転じる王だということです。転じるには、回すという意味と、変えるという意味があります。ブッダは、観点や問題点をそれまでのものから変える人なのです。

SN-3-7-560

"Sambuddho paṭijānāsi, 
正覚者は 認める
(iti selo brāhmaṇo) 
と セーラは バラモンの
dhammarājā anuttaro;
ダンマの王 無上の
'Dhammena cakkaṃ vattemi', 
ダンマによって 輪を 転じる・私は
iti bhāsasi gotama.
と 言った ゴータマ

セーラ:
サン・ブッダは
比類ない真理の王だと認め
「法輪を転じる」
とゴータマは公言した。

解説

ダンマ(法)を他者に伝えること(転)を、仏教では「転法輪(てんぽうりん)」といいます。

SN-3-7-561

"Ko nu senāpati bhoto, 
誰 だろうか 司令官 尊師の
sāvako satthuranvayo;
弟子は 師の・後継者は
Ko te tamanuvatteti, 
誰 あなた その・従って・転じる
dhammacakkaṃ pavattitaṃ".
ダンマ・輪を 転じるのは

あなたの司令官は誰なのか?
弟子は? 師の後継者は?
あなたが転じる法輪を
続いて転じるのは誰ですか?

解説

Dhammacakka:ダンマ(法)・チャッカ(輪)、法輪ダンマのシンボルです。

cakkaはサンスクリット語では、cakra(チャクラ)です。ヨーガで、人体には7つのチャクラがあると説くあのチャクラも車輪です。インドの国旗の中央に描かれているのも法輪です。

SN-3-7-562

"Mayā pavattitaṃ cakkaṃ, 
私が 転じた 輪を
(selāti bhagavā) 
セーラよ・と ブッダは
dhammacakkaṃ anuttaraṃ;
ダンマの輪は 無上の
Sāriputto anuvatteti, 
サーリプッタが 従って・転じる
anujāto tathāgataṃ.
従って・生じた人 タターガタに

ブッダ:
セーラよ、
私が転じた比類ない法輪を
サーリプッタが続けて回す。
彼はタターガタに追従して
出現した人です。

SN-3-7-563

"Abhiññeyyaṃ abhiññātaṃ, 
証知されるべきを 証知され
bhāvetabbañca bhāvitaṃ;
修めるべきを・また 修められ
Pahātabbaṃ pahīnaṃ me, 
放棄すべきを 捨てる 私によって
tasmā buddhosmi brāhmaṇa.
それ故に 覚者・私は バラモンよ

知るべきことを知らされ
また、修めるべきことを修め
捨てるべきことを捨てる
私によって。
バラモンよ、
だから私は覚者なのです。

解説

このスッタの解釈は難しいところですが、ゴータマ・ブッダは、知るべきことを知り尽くし、修めるべきことを脩めて、捨てるべきことを捨てた人であり、他の人々に知るべきことを知らせ、修めるべきことを脩めさせて、捨てるべきことを捨てさせる人だから、サン・ブッダ(正覚者)であるということだと思います。

SN-3-7-564

"Vinayassu mayi kaṅkhaṃ, 
取り除き 私に対する 疑いを
adhimuccassu brāhmaṇa;
信じなさい バラモンよ
Dullabhaṃ dassanaṃ hoti, 
難い・得る 見ることは 存在する
sambuddhānaṃ abhiṇhaso.
正覚者たちに しばしば

ブッダ:
私に対する疑いを捨てて
バラモンよ、信じなさい。
サン・ブッダに会うことは
滅多にないことですが
存在するのです。

解説

ブッダが信じなさいと言っているのは、目の前にいる私がサンブッダであることを信じなさい、という意味です。

SN-3-7-565

"Yesaṃ ve dullabho loke, 
彼らを 実に 難い・得る 世に
pātubhāvo abhiṇhaso;
出現は しばしば
Sohaṃ brāhmaṇa sambuddho, 
これ・私は言う バラモンよ サンブッダは
sallakatto anuttaro.
矢の治療者の 無上の

サン・ブッダの出現は
この世で滅多にないことです。
バラモンよ、
私は無上であり
苦しみを治療する
サン・ブッダです。

解説

salla-katta:矢の治療者。心に刺さった矢を抜く治療者です。

SN-3-7-566

"Brahmabhūto atitulo, 
創造主・万物の 比べられない
mārasenappamaddano;
マーラの軍団を・砕破する
Sabbāmitte vasīkatvā,
すべての・非友を 服従させて
modāmi akutobhayo".
喜ぶ・私は  無畏の

万物の創造主で
比べようもなく
マラーの軍団を倒す者であり
すべての敵を服従させて
怖れるものはなにもなく
私は喜びに溢れている。

解説

このスッタでブッダは、「私は唯一無二の万物の創造主」と言っているように聞こえますが、それは「唯一神」的な存在ではなく、ブッダは一足お先に気づいたけれど、人類すべてがその資質があるということだと思います。

つまり、思考によってあらゆるものを創造できる。自分が比べさえしなければ、比較で心を煩わすことはない。マーラ(心の闇)を倒すのも自分次第であり、自分が作り出すあらゆる敵を友だと思えば、もはやこの世に怖れるものは何もないので、毎日喜びいっぱいですよ、ということでもあると思います。