9. Vāseṭṭhasuttaṃ ヴァーセッタ②
生き物には生まれながらに種の特徴があることを、ブッダは説明しました。その続きです。
SN-3-9-612
"Yathā etāsu jātīsu, ように これらの 生まれにおいて liṅgaṃ jātimayaṃ puthu; 印 生まれによる 個々の Evaṃ natthi manussesu, このように ない 人間において liṅgaṃ jātimayaṃ puthu. 印 生まれによる 個々の
このように生き物には
生まれながらの
特徴が個々にあるが
人間にはそのような
生まれながらの特徴が
個々にない。
解説
ええーっ、そうなの? と思うのは私だけでしょうか?
SN-3-9-613
"Na kesehi na sīsena, ない 毛髪には ない 頭には na kaṇṇehi na akkhibhi; ない 耳には ない 眼には Na mukhena na nāsāya, ない 口には ない 鼻には na oṭṭhehi bhamūhi vā. ない 唇には 眉毛には 或は
髪の毛、頭、耳、目、
口、鼻、唇、眉毛に
違いはない。
解説
特徴がある、違いがあると思っていましたが、確かにそれぞれの部位だけを見比べた場合には、明確に区別できません。
SN-3-9-614
"Na gīvāya na aṃsehi, ない 首には ない 肩には na udarena na piṭṭhiyā; ない 腹には ない 背中には Na soṇiyā na urasā, ない 臀部には ない 胸には na sambādhe na methune. ない 陰部には ない 性器には
首、肩、腹、背中、
尻、胸、陰部、性器には
違いはない。
SN-3-9-615
"Na hatthehi na pādehi, ない 手には ない 足には nāṅgulīhi nakhehi vā; ない・指には ない・爪には 或は Na jaṅghāhi na ūrūhi, ない 脛には ない 腿には na vaṇṇena sarena vā; ない 顔色には ない 声には Liṅgaṃ jātimayaṃ neva, 印 生まれによる 決してない yathā aññāsu jātisu. のような 他の 生き物
手、足、指、爪
すね、太もも、顔、声にも
他の生き物のように
生まれながらの特徴はない。
解説
顔はそれぞれ違う、と思いますよね。ブッダが言いたいのは、これはバラモンの手や顔、これは他の階級の手や顔といった違いはない、ということです。木であれば、桜の木・樫の木・松の木と、種類によって生まれながらの違いがありますが、人間には、これはバラモン人間、これはクシャトリヤ人間だと、種類によって見分けられる特徴はない、ということです。
SN-3-9-616
"Paccattañca sarīresu, 各自の・そして 身体において manussesvetaṃ na vijjati; 人間において・これは ない 見出す Vokārañca manussesu, 差異は・しかし 人間において samaññāya pavuccati. 通称によって 言われる
人間のそれぞれの肉体に
違いは見出せない。
人間の違いは呼び名が
そうなだけである。
解説
草木と人間、動物と人間の区別はあっても、人間同士には生まれによる区別の特徴がないのに、バラモンとかクシャトリヤなどと区別します。これは単に呼び方の違いでしかありません。バラモンに限らず、私たちもそうですよね。社長だ部長だ、弟だ姉だ、先輩だ後輩だ、貧乏だ金持ちだ、すべては通称に過ぎず、人間を区分するものはないということです。
SN-3-9-617
"Yo hi koci manussesu, 人は ならば 誰か 人間において gorakkhaṃ upajīvati; 牛・飼いに よって生きる Evaṃ vāseṭṭha jānāhi, このように ヴァーセッタよ 知りなさい kassako so na brāhmaṇo. 農夫は 彼は ない バラモン
人間のうちで
牛を飼うことで
生活する者は誰でも、
ヴァーセッタよ、
このように知りなさい。
その人は農夫であって
バラモンではない。
解説
農夫とバラモンとの違いについて考えてみます。牛を飼って生活する人のことを農夫と呼び、バラモンとは呼びません。つまり農夫とバラモンでは、役割・働きに違いがあります。
SN-3-9-618
"Yo hi koci manussesu, 人は ならば 誰か 人間において puthusippena jīvati; 種々の・技術に 生きる Evaṃ vāseṭṭha jānāhi, このように ヴァーセッタよ 知りなさい sippiko so na brāhmaṇo. 職人は 彼は ない バラモン
人間のうち
さまざまな技術によって
生活する者は誰でも、
ヴァーセッタよ、
このように知りなさい。
その人は職人であって
バラモンではない。
SN-3-9-619
"Yo hi koci manussesu, 人は ならば 誰か 人間において vohāraṃ upajīvati; 交易に よって生きる Evaṃ vāseṭṭha jānāhi, このように ヴァーセッタよ 知りなさい vāṇijo so na brāhmaṇo. 商人は 彼は ない バラモン
人間のうち
交易によって
生活する者は誰でも
ヴァーセッタよ、
このように知りなさい。
その人は商人であって
バラモンではない。
SN-3-9-620
"Yo hi koci manussesu, 人は ならば 誰か 人間において parapessena jīvati; 他者に・仕えて 生きる Evaṃ vāseṭṭha jānāhi, このように ヴァーセッタよ 知りなさい pessiko so na brāhmaṇo. 下僕は 彼は ない バラモン
人間のうち
他者に仕えて
生活する者は誰でも
ヴァーセッタよ、
このように知りなさい。
その人は使用人であって
バラモンではない。
SN-3-9-621
"Yo hi koci manussesu, 人は ならば 誰か 人間において adinnaṃ upajīvati; 盗みに よって生きる Evaṃ vāseṭṭha jānāhi, このように ヴァーセッタよ 知りなさい coro eso na brāhmaṇo. 盗人は 彼は ない バラモン
人間のうち
盗みによって
生活する者は誰でも
ヴァーセッタよ、
このように知りなさい。
その人は盗人であって
バラモンではない。
SN-3-9-622
"Yo hi koci manussesu, 人は ならば 誰か 人間において issatthaṃ upajīvati; 弓術に よって生きる Evaṃ vāseṭṭha jānāhi, このように ヴァーセッタよ 知りなさい yodhājīvo na brāhmaṇo. 兵士は 彼は ない バラモン
人間のうち
弓術によって
生活する者は誰でも
ヴァーセッタよ、
このように知りなさい。
その人は兵士であって
バラモンではない。
SN-3-9-623
"Yo hi koci manussesu, 人は ならば 誰か 人間において porohiccena jīvati; 儀式を行い 生きる Evaṃ vāseṭṭha jānāhi, このように ヴァーセッタよ 知りなさい yājako eso na brāhmaṇo. 司祭は 彼は ない バラモン
人間のうち
儀式を行うことで
生活する者は誰でも
ヴァーセッタよ、
このように知りなさい。
その人は司祭であって
バラモンではない。
解説
一般的には、この司祭がバラモン階級ですが、ブッダ は「儀式を行う人は、バラモンではなく司祭だ」と明言しています。
SN-3-9-624
"Yo hi koci manussesu, 人は ならば 誰か 人間において gāmaṃ raṭṭhañca bhuñjati; 村を 国を・また 支配する Evaṃ vāseṭṭha jānāhi, このように ヴァーセッタよ 知りなさい rājā eso na brāhmaṇo. 王は 彼は ない バラモン
人間のうち
村や国を支配する者は誰でも
ヴァーセッタよ、
このように知りなさい。
その人は王であって
バラモンではない。
解説
王様は誰でもなれるものではなく、生まれながらに決まっているようにも感じます。しかし、実際には、バカ王では国の統治はできず、侵略されて国を乗っ取られます。生まれながらに王位を継ぐものとして特別な教育を受け、知識や武術を人並み以上に学ぶことで、この働きができるようになります。これもまた1つの役割です。
SN-3-9-625
"Na cāhaṃ brāhmaṇaṃ brūmi, ない そして・私は バラモンと 呼ぶ yonijaṃ mattisambhavaṃ; 胎生 母から・生まれた Bhovādi nāma so hoti, 友と・呼ぶ 名の 彼は ある sace hoti sakiñcano; もし ある 執着ある者は Akiñcanaṃ anādānaṃ, 無所有の 無執着の tamahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ. 彼を・私は 呼ぶ バラモンと
そして(バラモンの)母の
胎内から生まれた者を
私はバラモンとは呼ばない。
彼にもし執着があるなら
友という名で呼ぶことはある。
何も所有せず、無執着の者を
私はバラモンと呼ぶ。
解説
ブッダの意見は「出自によってバラモンとは呼ばない。無所有の無執着の人をバラモンと呼ぶ」でした。