第1章 蛇:8. 慈悲 143〜152話

8. Mettasuttaṃ 慈悲のスッタ集

第1章「蛇」の8番目のスッタ集は「mettāメッター)慈悲」がテーマです。

メッターとは、慈しみ、友愛、親愛の情、善意、親切、友好的、慈善といった、他人に対して積極的で友好的な関心を持つ心です。「愛、友好、同情」がひとつになったような心の状態です。

このメッターに対する反意語は、「憎しみや悪意」であり、明らかに対立する心の状態です。そして表面上はメッターに似ていますが、実際は対立している性質なのが、「愛・執着」です。これは相手のためではなく、自分の思い通りにしたいという欲でしかありません。

このスッタ集は、慈悲・善意を育むための実践法です。すべての存在に対する思いやりを養うことで、否定的な心の状態への執着を取り除きます。その土台となる普遍的な慈悲の態度とは、慈悲を育む瞑想修行、そして解脱へとつながるステップをブッダ は説いています。

SN1-8-143

Karaṇīyamatthakusalena, 
必須義務・自己・癒し
yanta santaṃ padaṃ abhisamecca; 
行う 静寂の 状態 しっかり理解した上で
Sakko ujū ca suhujū ca,
有能 正直 と 誠実 と
sūvaco cassa mudu anatimānī.
善・言葉 彼の 柔和 否・自慢

八正道の実践が必須であり
有能、正直、誠実で
正しい言葉で穏やか
驕らずに平静な状態をしっかり
理解した上で行うものである。

解説

atthakusalena:自己+癒し=八正道を熟練した人物のこと。慈悲の心の必須条件として、八正道を繰り返し実践することをあげています。「Ariya-aṭṭhaṅgika-magga 八正道(8つの正しい道)」とは、ブッダが説いた人々が幸せになるために進むべき道です。正しい見方、正しい考え方、正しい言葉、正しい行為、正しい生計、正しい努力、正しい気づき、正しい集中、の8つです。最初の6つはいわゆる道徳で、残り2つは瞑想修行を伴います。これら8つの正しい道は、心を浄化し解脱するための唯一の道です。詳しくはこちら

慈悲の瞑想を行うには、八正道が必須条件ということです。

SN1-8-144

Santussako ca subharo ca, 
満足している と 人に頼られる と
appakicco ca sallahukavutti; 
少ない・義務 と 軽い生活
Santindriyo ca nipako ca, 
落ち着いた と 賢明で と
appagabbho kulesvananugiddho.
控えめで 家・ない・貪欲

満ち足りていて頼りになり
心配事が少なく質素に暮らし
落ち着いていて賢明で
控えめで、世俗に執着はない。

解説

メッターを実践するのに相応しい人物像が語られています。appa+kicca:やることが少ない。義務や仕事など、やらなければならないことが少ない状態です。ここでは「心配事が少ない」と訳しました。義務ばかりで、やらなければならないことに追われる私たちとは正反対です。「世俗に執着はない」というのは、家が欲しいとか、お金が欲しいとか、美味しいものが食べたいとか、私たちが当たり前に望む「欲しい・したい」のことです。

SN1-8-145

Na ca khuddamācare kiñci,
ない と 少々の・行い 何でも 
yena viññū pare upavadeyyuṃ;
ような 識者達が 他の 非難する
Sukhino va khemino hontu, 
幸せで あるいは 安らかで ある
sabbasattā bhavantu sukhitattā.
全ての・生き物は しましょう 幸せにする・自ら

他の賢者たちから
非難されるような
どんな些細な過ちもなく
安らかで幸せで
すべての生き物が
心から幸せでありますように。

解説

他の賢者から非難されるような行為は、どんな些細なことでもないように気をつけなくてはなりません。ここでのポイントは、万人から非難されないようにすることではありません。賢者からのみです。いろいろな人から非難されようが、批判されようが、それはお互い様で、それぞれの個性です。気にしなくていいのです。ただ、賢者から非難されたら、それは重大な過ちなので、謙虚に受け止めなくてはなりません。

SN1-8-146

Ye keci pāṇabhūtatthi, 
彼らを 誰か 生き物ならば
tasā vā thāvarā vanavasesā;
動く あるいは 不動 あるいは・余すことなく
Dīghā vā ye va mahantā, 
長い あるいは 彼らを 大きな
majjhimā rassakā aṇukathūlā.
中間の 短い 微細な

どんなものでも生き物ならば
動く動かないに関わらず
長いもの、大きなもの
中くらいのもの、短いもの、微細なもの

解説

慈悲の心を向ける対象は、自分を取り巻く環境において、動物・植物・鉱物、ミミズやバクテリアなど、あらゆる存在です。

SN1-8-147

Diṭṭhā vā ye va adiṭṭhā,
見られる あるいは 彼らは あるいは 見られない
ye va dūre vasanti avidūre; 
彼らは あるいは 遠くに 近くに
Bhūtā va sambhavesī va, 
存在 あるいは 生まれようとしている
sabbasattā bhavantu sukhitattā.
全ての・生き物は しましょう 幸せにする・自ら

見えるもの見えないもの
遠くにいるもの近くにいるもの
生まれたもの
生まれようとしているもの
すべての生き物が
心から幸せでありますように。

解説

生まれようとしているもの」とはのことです。あらゆる存在が共存共栄し、生き生きと生きられるような、自然の法則にかなった調和のとれた「意識」を自覚します。この時、143の必須条件を満たしていれば、同調して入ってくる「本質」と一体化することが、誰でも実現できるということのようです。

SN1-8-148

Na paro paraṃ nikubbetha,
ない  他を さらに 騙す
nātimaññetha katthaci na kañci;
ない・軽蔑 どこか ない 誰か
Byārosanā paṭighasaññā, 
怒り・憎しみ 反感・想念
nāññamaññassa dukkhamiccheyya.
否・相互 苦しみ・望む

いかなる場所でも誰であっても
他者をだましたり軽んじたり
怒りや恨み、反感をもって
他を苦しめることを
望んではいけない。

解説

paṭigha:倫理的な意味での「反感」「恨み」「怒り」を意味します。このような気持ち、思いがあれば、その振動波の影響で147は実現できないということだと思います。

SN1-8-149

Mātā yathā niyaṃ puttamāyusā ekaputtamanurakkhe;
母親 のように 自身の 息子・命がけで 一人息子・守られた
Evampi sabbabhūtesu, 
同じように すべて・生き物に
mānasaṃ bhāvaye aparimāṇaṃ.
心を 開発されるべき 無限の 

母親が命がけで
我が子を守るように
すべての生き物に対して
限りない(慈悲の)心を
育みましょう。

解説

慈しみの心の例です。例えば、子供が煮えたぎった湯の鍋をひっくり返しそうになった時、母親がとっさに自分がその熱湯を被って子供を守る、これがメッターの心です。母親がなかなか帰ってこない子供が「事故にあったのでは」と心配したり、旅に出る子供の危険を案じてあれこれ世話を焼くのは、メッターの心ではありません。メッターは、無限に大きな心です。

SN1-8-150

Mettañca sabbalokasmi, 
慈しみを・と 全ての存在界に
mānasaṃ bhāvaye aparimāṇaṃ;
心を 開発されるべき 無限の 
Uddhaṃ adho ca tiriyañca,
上 下 と 外(横)
asambādhaṃ averamasapattaṃ.
ない・不自由 恨みなき・敵意なき

あらゆる存在界に対する
限りない慈しみを心を育みましょう。
上にも下にも、そして周囲にも
邪魔をせず、敵意や恨みを持たずに

解説

あらゆる存在界とは、全宇宙の存在界、人間界や動物界、霊界など31の存在界のことです。

SN1-8-151

Tiṭṭhaṃ caraṃ nisinno va, 
立つ 歩く 座っている あるいは
sayāno yāvatāssa vitamiddho;
横になっている である限り 達する・眠り
Etaṃ satiṃ adhiṭṭheyya, 
このように 気づきを 確立しなさい  
brahmametaṃ vihāramidhamāhu.
ブラフマー・このように 生き方・ここで・言う

立っていても歩いていても
座っていても横になっていても
眠りについている時以外は
心は常に気づいていなさい。
このような生き方は
アラハンになれるのです。

解説

これはヴィパッサナー瞑想の実践法です。サティ=マインドフルネス=気づきです。ヴィパッサナー瞑想は、坐って瞑想している時だけでなく、眠りについている時以外は、日常生活の自分のすべての行為・言葉・思考に気づいている訓練です。同様の記述で、弟子たちに向けた詳細な方法がマハーサティーパッターナ・スッタにあります。

ブラフマーとは、ブラフマー界の存在であり、高次の存在ですが、ここではアラハンを意味していると解釈しました。

SN-1-8-152

Diṭṭhiñca anupaggamma, 
見解 近づかず
sīlavā dassanena sampanno;
戒律を守る 見ることによって 成就した
Kāmesu vinaya gedhaṃ, 
欲 削除 欲深さ
na hi jātuggabbhaseyya punaretīti.
ない 決して・子宮に受胎する 繰り返し

見解にとらわれず
戒律を守り
観察によって成功した者は
欲に対する執着を取り除き
二度と生まれ変わることはない。

解説

どんな生命も平等です。どちらかが良い悪いといった見解は自然の法則ではあり得ません。何かが良いとか悪いとかは、それぞれの見解でしかないのです。だからといって、悪いことをしていいわけではありません。悪いことかどうかは、それぞれの見解ですが、相手が嫌がること、苦しむことは、自分の見解には関係なく、してはいけないことです。

「観察によって成功した」とは、ヴィパッサナー瞑想による心の観察のことです。瞑想により心を観察し、完全に心を浄化し、欲に対する執着を滅尽に成功すれば、解脱です。

「二度と生まれ変わることはない」直訳すると「子宮に受胎を繰り返すことは決してない」となります。これは「輪廻転生することはない」=解脱です。

Mettasuttaṃ aṭṭhamaṃ niṭṭhitaṃ.
慈悲の・スッタ集 8番目 終わり

8.慈悲のスッタ集 終わり