第2章 小さなこと:2. 生臭いもの① 242〜248

2. Āmagandhasuttaṃ 生臭いもの ①

第2章「小なるもの」の2番目のテーマは、āma(アーマ=生の)gandha(ガンダー=臭うもの)「生臭いもの」です。

生臭いものとは、なんでしょう?

生臭坊主(なまぐさぼうず)」という言葉があります。戒律で禁止されている魚や肉を食べている僧侶のことで、転じて怠け者の僧侶を指す言葉です。魚や肉、つまり動物や魚の死骸が、生臭い悪臭を放つことから出た言葉です。

ここでは、その「生臭いもの」の真意について語られています。

SN-2-2-242

"Sāmākaciṅgūlakacīnakāni ca, 
キビ・チングーラカ・チャナ豆 そして
pattapphalaṃ mūlaphalaṃ gavipphalaṃ;
葉菜 根菜 果実
Dhammena laddhaṃ satamasnamānā, 
ダンマによって 得たもの 正しく・善心によって
na kāmakāmā alikaṃ bhaṇanti.
ない 好きを・求めて 虚偽を 語る

キビ、チングーラカ、ひよこ豆
そして葉菜、根菜、果実。
ダンマに従って
生き物を傷つけずに
正当に得たものを食べて
欲を求めたり
嘘をついたりしない。

解説

この話者は、戒律に従って、生き物を殺さずに、Sāmāka(ヒエ・アワなどキビの一種)、ciṅgūlaka(不明。ご存知の方いらしたら教えてください)、cīnaka(チャナ=ひよこ豆)、pattapphala(葉物野菜)、mūlaphala(根菜)、gavipphala(果物)を食べ、欲を求めたり、嘘をついたりしない、生活をしているようです。

SN-2-2-243

"Yadasnamāno sukataṃ suniṭṭhitaṃ, 
時・食べている よく・行い よく・完成
parehi dinnaṃ payataṃ paṇītaṃ;
他から 与えられ 施された 優れたもの
Sālīnamannaṃ paribhuñjamāno, 
米・茹でた 食べている人は
so bhuñjasī kassapa āmagandhaṃ.
彼は 手にする カッサパよ 生臭を

上等の食べ物を他者から
お布施として与えられて
美味しいものを食べている。
白米まで食べている人
カッサパよ
生臭いものを受け取るのか

解説

Yad-aśnāna(食べている時)、Sālīnamannaṃ(茹でた米)は、雑穀の混じらないごはんです。日本人的には「銀シャリ」でしょうか。

カッサパとは、ゴータマ・ブッダの前に現れたサンマー・サン・ブッダで、カッサパ・ブッダのことです。

SN-2-2-244

"Na āmagandho mama kappatīti, 
ない 生臭は 私のもの 適当であると
icceva tvaṃ bhāsasi brahmabandhu;
と・だけ あなたは 語る ブラフマーの・親族よ
Sālīnamannaṃ paribhuñjamāno, 
米・茹でた 食べている人は
sakuntamaṃsehi susaṅkhatehi;
鳥・肉 よく作られた
Pucchāmi taṃ kassapa etamatthaṃ, 
質問する・私は あなたに カッサパよ それの・道理を
kathaṃ pakāro tava āmagandho".
いかに 種類の あなたの 生臭は

生臭いものは適切ではないと
私に言っておきながら
高尚なお生まれであるあなたが
ごはんと一緒に
料理された鶏肉を食べている
カッサパよ
あなたが言う生臭いものとは
いったいどんな種類のものなのか
私はあなたにお尋ねしたい。

解説

話者は、自分には生臭いもの(肉や魚)を禁じておきながら、カッサパ・ブッダ自身は鶏肉を食べているじゃないか、しかも真っ白なごはんと一緒に!と考えたのだと思います。チキンカレーでしょうか? 米と一緒にということは、南インドの文化圏での会話のようです。

SN-2-2-245

"Pāṇātipāto vadhachedabandhanaṃ, 
生きものを傷つけることは 打つ・切る・縛ること
theyyaṃ musāvādo nikativañcanāni ca;
盗むこと 嘘をつくことは 詐欺・だますこと そして
Ajjhenakuttaṃ paradārasevanā, 
学び・曲がった 他人の妻に・親しむこと
esāmagandho na hi maṃsabhojanaṃ.
これらが・生臭 ない 実に 肉を・食べること

カッサパブッダ:
生き物を傷つけることとは、
殴り・切り・縛ること
盗むこと、嘘をついて欺く詐欺
そして他人の妻との交わり
曲がった考えのこと。
これがまさに生臭いものであり
肉を食べることではない。

解説

Ajjhenakuttaṃ=ajjhena-kujjaṃ。カッサパは、「生きものを傷つける行為が生臭いこと」であり、「生臭い死骸を食べることではない」と答えています。

殺す、盗む、嘘をつく、他人の妻に交わる、これは修行者が禁じられている五戒のうちの4つです。5つ目はアルコールや麻薬で酩酊することですが、ここでは「曲がった考え」となっています。酩酊すれば正常な考えはできなくなるので、同義だと思います。

これら5つの行為で心が汚れ不快な悪臭を放つということです。食べるものが生臭いからではないと述べています。ある意味、衝撃の答えです。

SN-2-2-246

"Ye idha kāmesu asaññatā janā, 
彼らは ここで 欲望において 無制御 人々
rasesu giddhā asucibhāvamassitā;
味において よく深い 不浄の・状態に・頼る
Natthikadiṭṭhī visamā durannayā, 
虚無的な見解を持つ 不調和で 従い難い
esāmagandho na hi maṃsabhojanaṃ.
これらが・生臭 ない 実に 肉を・食べること

この世で欲の赴くまま
美食を貪り、不純なものに関わり
虚無心が強くて調和もなく
従うことができない人々。
これがまさに生臭いものであり
肉を食べることではない。

解説

Natthikadiṭṭhī:「虚無的な見解(ニヒリズム)を持つこと」とは、生きる目的や意味はなく、この世には本質的な価値はないと悲観的に考える人生観のことです。 人間の本質は、楽な方へ進み、快楽への刺激を常に求めています。

SN-2-2-247

"Ye lūkhasā dāruṇā piṭṭhimaṃsikā, 
彼らは 粗末な 強暴な 陰口を言う
mittadduno nikkaruṇātimānino;
友を裏切る 人情のない・傲慢な
Adānasīlā na ca denti kassaci, 
ない・施し ない そして 与える 誰にも
esāmagandho na hi maṃsabhojanaṃ.
これらが・生臭 ない 実に 肉を・食べること

粗野で、凶暴で、陰口を言い
友を裏切り、情け容赦なく傲慢で
誰にも与えず、物惜しみする人々。
これがまさに生臭いものであり
肉を食べることではない。

解説

自暴自棄になると、他者を傷つけたりしますが、これは自分を粗末に扱い、やけくそになっている状態です。

SN-2-2-248

"Kodho mado thambho paccupaṭṭhāpanā, 
憤怒は おごりは 頑固は 反抗心は
māyā usūyā bhassasamussayo ca;
欺瞞 嫉妬 大言壮語 そして
Mānātimāno ca asabbhi santhavo, 
傲慢・自惚れ と 無作法 親密さ
esāmagandho na hi maṃsabhojanaṃ.
これらが・生臭 ない 実に 肉を・食べること

怒り、おごり、強情、反抗心
偽装、妬み、大げさに言う
そして傲慢と自惚れ
不正な者と親密に関わる。
これがまさに生臭いものであり
肉を食べることではない。

解説

生臭坊主は、五戒を守らない僧侶(出家者)のことで、転じてではなく本来の意味でした。この世が、生臭い世界であるとは、なかなか的を得ていると思います。

生臭いもの②に続きます。