第1章 蛇:7. ヴァサラ・卑しい人 126〜134話

7. Vasalasuttaṃ ヴァサラ・卑しい人 ③

SN1-7-126

‘‘Yo atthaṃ pucchito santo, 
人は ためになることを 問われた 
anatthamanusāsati;
非利益・教える
Paṭicchannena manteti, 
隠された 教える 
taṃ jaññā vasalo iti.

ためになることを聞かれたのに
ためにならないことを教え
本当のことを隠して助言する者
それがヴァサラと知るべきです。

解説

五戒の4番目「嘘をつかない」という戒めに反する行為です。嘘とは「嘘をつく本人が『本当ではない』と思っていることを、他者には『本当だ』と信じさせようと騙す行為」です。意図的に騙そうとする行為です。例えば、事実ではなくても言う本人が『本当だ』と思っていれば、嘘にはなりません。つまり心の在り方で嘘になるということです。

嘘にも種類がありますが、ここでの嘘は「巧妙な嘘」、ごまかしたり一部の情報を隠したりする嘘です。

SN1-7-127

‘‘Yo katvā pāpakaṃ kammaṃ, 
人は してしまった 悪い 行為を
mā maṃ jaññāti icchati; 
ならない 私を 知るべきと 求める
Yo paṭicchannakammanto, 
人は 隠された・業
taṃ jaññā vasalo iti.

悪いことをしたのに
「私の仕業と知られないように」
隠そうとする者
それがヴァサラと知るべきです。

解説

これは「自衛の嘘」、自分が叱られないように守るための嘘です。

SN1-7-128

‘‘Yo ve parakulaṃ gantvā, 
人は まさに 他の家に 行って
bhutvāna sucibhojanaṃ;
食べて おいしい食べ物
Āgataṃ nappaṭipūjeti, 
来た ない・見返りに敬意を払う
taṃ jaññā vasalo iti.

人の家に行って
ご馳走になっておきながら
その人が来たときに
お返しにもてなそうとしない者
それがヴァサラと知るべきです。

解説

ご馳走になっても、ならなくても、人のために何かをすることは、明らかに善い行為です。そこには自我や欲がないからです。何か企みがあってもてなす人もいますが、それは人のためを装った自分のための行為ですから、当然の悪業です。人のために何かをすることは、相手が喜ぶのはもちろんですが、何より自分が大きな喜びと満足感を得られるのです。

SN1-7-129

‘‘Yo brāhmaṇaṃ samaṇaṃ vā, 
人は バラモン 修行僧 あるいは
aññaṃ vāpi vanibbakaṃ;
他の あるいは・ も 物乞い
Musāvādena vañceti, 
嘘をつく だます
taṃ jaññā vasalo iti.

嘘をついて
バラモンや出家修行者や
他の物乞いをだます
それがヴァサラと知るべきです。

解説

このスッタは、6.破滅のスッタ集の100話と、最終行以外は同じです。嘘をつくと、人の信用を失い、人との絆が切れて、世間から相手にされなくなります。冷たくなった世間の気を引こうと、さらに派手な嘘をつくようになり、嘘がどんどん平気になります。嘘を隠すために、さらに嘘を重ねる悪循環です。

民俗学者の柳田国男によると、かつて日本の村にはたいてい一人は「嘘つき」の老人がいて、人々を楽しませていたそうです。『村には談話によって退屈を紛らし、また時々は笑いの爆発によって、単調を破るべき必要がつとに存した』(柳田国男「ウソと文学の関係」より)。だまして何かを奪うための嘘ではなく、笑いをとるための嘘、場を和ませるためのホラ吹きですが、これはブッダ的にはどうでしょうか。

SN1-7-130

‘‘Yo brāhmaṇaṃ samaṇaṃ vā, 
人は バラモン 修行僧 あるいは
bhattakāle upaṭṭhite;
食事の時間 提供される
Roseti vācā na ca deti,
争う 言葉 ない と 与える 
taṃ jaññā vasalo iti.

食事時にやって来た
バラモンや出家修行者を
口汚く罵って
与えようとしない者
それがヴァサラと知るべきです。

解説

これは、4. 農夫バーラドヴァージャ がブッダ に対して行った行為そのものです。

129話と違い、ここでは物乞いが外されています。単に食べ物を乞う人ではなく、バラモン行者や出家修行者といった、全生命の役に立つために正しい道を行く崇高な生命に対して、言葉でいじめ、食べ物を与えないことが、いかに不利益になるかを説いています。

SN1-7-131

‘‘Asataṃ yodha pabrūti, 
虚偽の この世で 説く
mohena paliguṇṭhito;
無知によって 包まれた
Kiñcikkhaṃ nijigīsāno, 
些細な物を 欲しがる人
taṃ jaññā vasalo iti.

無知からくる妄想で
いっぱいになり
この世にありもしないことを
言いふらして
些細なものをやたらと欲しがる者
それがヴァサラと知るべきです。

解説

欲に目がくらみ、人をだましてまで、些細なものを欲しがる欲です。ここでの嘘は「誇張する嘘」です。

SN1-7-132

‘‘Yo cattānaṃ samukkaṃse, 
人は 手放す人 優秀
pare ca mavajānāti;
他を と 軽んじる
Nihīno sena mānena,
下品 自分で 慢心により 
taṃ jaññā vasalo iti.

自分を褒め称え
他人を見下し
うぬぼれる下品な者
それがヴァサラと知るべきです。

解説

バラモンのアッギカ・バーラドヴァーヤは、自分がカーストの最上位だと自負し、ブッダを見下して「ブッダ君」呼ばわりしています。

修行者は、与えられたもので満足します。その物のために、見苦しいことや不適切なことはしません。もし、それが手に入らなくても、怒ったり興奮したりしません。もし、それが手に入ったら、それに執着せず、夢中にならず、悪い考えを持たず、それに執着することの欠点を見抜き、その欠点から逃れることに気をつけます。そして、それに満足していることを理由に、自分を高めたり、他人を見下したりすることはありません。

SN1-7-133

‘‘Rosako kadariyo ca, 
怒りに満ち ケチ と
pāpiccho maccharī saṭho;
罪深い欲望を持つ 物惜しみ 不誠実
Ahiriko anottappī, 
図々しい 恥知らず
taṃ jaññā vasalo iti.

怒りっぽくて
ケチで意地悪で
せこくて不誠実
図々しくて恥知らずな者
それがヴァサラと知るべきです。

解説

アッギカ・バーラドヴァーヤは、遠くからやって来るブッダを見つけて、制止しました。物惜しみ(マッチャリヤ)についてはこちら

SN1-7-134

‘‘Yo buddhaṃ paribhāsati, 
人は 覚者を 誹謗する
atha vā tassa sāvakaṃ;
あるいは また 彼の 弟子を
Paribbājaṃ gahaṭṭhaṃ vā, 
出家者を 在家者を あるいは
taṃ jaññā vasalo iti.

覚者や
出家者または在家の弟子を
誹謗する者は
それがヴァサラと知るべきです。

解説

アッギカ・バーラドヴァーヤはブッダを制止しようと、「そこで止まれ、ハゲ!」「そこで止まれ、ニセ坊主!」と誹謗しました。

一般的な「卑しい人」の人物像からはじまり、アッギカ・バーラドヴァーヤがたった今した行動をそのまま「卑しい行為」として指摘するブッダ。ここまでは最終行がすべて同じ「それがヴァサラと知るべきです」と言うフレーズでしたが、次の135話からは違います。